足跡(寺社)73・旧東海道品川宿あたりの寺社「海雲寺」……2019.3.8

旧東海道品川宿あたりの10数ヵ寺を一気に歩いた2019年3月8日……写真を見ると記憶はしっかりしているが、足腰が達者だった5年前の自分が羨ましい。

海晏寺を後にして、第一京浜京急を越えると南北に走る「青物横丁商店街」……東海道品川宿だったこの辺りを北に向かってウロウロするつもりで出かけたから、近いけれど「どうせ狭いだろう」と京浜運河へは足を向けなかった。

商店街をわずかに歩くと、左手の路地入り口に石碑が目に付いた。京急の高架と第一京浜の向こう正面は、直前に訪問した海晏寺が臨める。

2基ともに石碑の台座には「海晏寺」と彫られている。
 左の石碑には「太政大臣岩倉公御墓参拝道」とあることから、かつてこの場所が参道入り口だったのだろう。鉄道や道路で分断される以前の海晏寺は広大な敷地を有していたことになる。
 右の石碑正面には「鮫洲正観世音菩薩道場」、側面には「最明寺時頼公安置」とあった。海晏寺は時頼が開いた寺とされるため、あっても不思議ではないが、「最明寺」とは北条時頼が出家の準備のために鎌倉に建てた寺と伝えられ、最明寺入道覚了房道崇と号し、戒名にも用いられているようだ。(最明寺は現存しておらず、支院・明月院が残されているらしい。)

路地を進んで、逆の海晏寺方向から見るとこんな感じ……石碑は奥の車の手前に建っている。

海晏寺の境内社だったのか?詳細は不明だが「幸稲荷神社」……

奉納の木札が並んでいた。白金・高輪・銀座や横濱の文字もあり、遠くからも支援されていたようすが伺える。

商店街に戻るのが面倒だったので、稲荷の前から北への路地を入ってみたが……

路地の正面に目的地は見えたが、結局商店街に戻って「海雲寺」参道口に到着……

「海雲寺山門」(品川区南品川3-5-21)……

手前の石碑には「開運 千躰荒神霊場」とあり「しながわ百景」に選定されている。

山門から境内の眺め……参道は二本あるが、山門から伸びる左の正面は本堂ではない。

「千躰荒神堂」(左)と「本堂」(右)……建物は本堂の方が小さい。千躰荒神王が主役のようだ。銅鑼みたいなの鳴らし、お賽銭を入れて、台所の安泰を願ってきた。

荒神堂の扁額は、ものすごく古そう。

堂内には信徒さんが奉納した扁額がかけられていた。全部で27面あるらしい。

龍吟山海雲寺本堂……建長3年(1251年)僧不山(そうぶさん)によって開基。初めは庵端林(あんずいりん)といい、海晏寺境内にあって臨済宗だった。慶長元年(1596年)海晏寺五世分外祖耕大和尚を開山として曹洞宗に改められ、寛文元年(1661年)に海雲寺となった。御本尊十一面観世音菩薩を安置し、ご尊像は建長3年創立当時、仏師春日の作と言われている。鎮守として祀ったのが「千躰三宝荒神王」であるとのこと。
 海晏寺の6年後に改宗されたことになるが、「海晏寺」「海雲寺」とよく似た寺号の謎が解けた。

本堂右に寺務所・庫裏……

千躰荒神堂の左側……この門の外を通ったが入れなかった私。

「えんの行者」……鬼神を使役して水をくませたり薪を集めさせるなどし、その命令に従わない場合には呪術によって縛る神通力の持ち主らしい。水や薪あつめ……だから台所の神・荒神王のそばにおいでなのか。

境内中央に「手水舎」……

手水舎後方に「力石」……門前にいた大勢の漁師や、親船から積荷を小舟に移しとる瀬取(せどり)の若者たちが大正の中頃まで力比べに使った石。「石にふれて元気を出してください」と立て看板に書かれていたが、ぎっくり腰が怖いからさわらない。

平蔵地蔵……
『江戸の末1860年頃 鈴ヶ森刑場の番人をしながら交代で町に出て施しを受けて暮らしていた三人連れの乞食がいた。その一人 平蔵はある日 多額の金を拾ったが落とし主を探し当然のこととして金を返し お礼の小判を断った。そのことを知らされた仲間の者は金を山分けすれば三人とも乞食を止めて暮らせたのにと腹を立てて正直者の平蔵を自分たちの小屋から追い出し凍死させてしまった。これを聞いた金の落とし主である仙台屋敷に住む若い侍が 平蔵の遺体を引きとり青物横丁の松並木の所に手厚く葬り そこに石の地蔵尊をたて ねんごろに供羪(養)しつづけた。
 明治32年(1899年)10月京浜急行が開通することになったが 生憎その線路に地蔵尊の土地がかかり 時の海雲寺住職 横川徳諄和尚が菩薩のような功徳の君子 平蔵を長く社会の木鐸たらしめんと願望して当寺境内に移してもらい回向した。』と書かれている。
 平蔵さん立派・仙台藩の侍も良い人だ。
 ※ 木鐸(ぼくたく)=世人の警告を発し、教え導く人

荒神像」がそびえ立っていた。電燈講が昭和2年(1927年)に建立。

立派な鐘楼があって……その向こうに……

密教における明王の一尊で、古代インド神話の炎の神「烏瑟沙摩明王(うすさまみょうおう)」が祀られるお堂……この世の一切の汚れを焼き尽くす功徳をお持ちとのこと。荒神様といい、火の神様がそろい踏みの海雲寺だった。

【附けたり】(2020年5月14日の写真)
 天台宗寺院「東光寺」(品川区二葉1-14-16)には、東司(とうす)と呼ばれるお堂がある。東司は寺院のトイレのことだが、文字通りそのお堂にトイレの神様「鳥瑟沙摩大明」が祀られている。『「おまたぎ」をまたいで御参りください』と張り紙がされている。中央に置かれた便器をまたいでお参りすると下の世話にならないと言われるらしいが、靴を脱ぐのが嫌だったからお賽銭だけ入れてここで失礼した私だった。

海雲寺山門を後にした私は、旧東海道を北へ向かった……

今日の「My First JUGEM」は……『匂わないロウバイ(蝋梅)……』