足跡(寺社)88・常円寺・柿の木坂北野神社……2019.6.2

中根の馬頭観音から氷川神社・東光寺を巡った2019年6月2日のこと……

東光寺山門前を東に向かうと……

日蓮宗寺院「常圓寺」山門(目黒区八雲1-2-10)

山門から境内……東側(写真では左側)にある天神坂に面した裏門からは幾度も目にしたが、予想以上に広い境内だった。

車馬止……「しゃばどめ」と読むのか? 境内への進入禁止の標識だろうが新しすぎるから装飾として置いたのかもしれない。

「本堂」……天正18年(1590年)に創建され、目黒区八雲の地に430余年の時を刻んで来たが、天正18年は徳川家康江戸城に入城した年。
 本堂には日蓮聖人の自作と伝えられる「剣難除祖師像」が安置されている。同寺開山の際、碑文谷法華寺(現・円融寺)から移されたとされる寺宝「釈迦如来涅槃之図(しゃかにょらいねはんのず)」は、毎年2月15日に開帳されるとのこと。円融寺が再び天台宗に改宗される100年ほど前に譲られたのだろう。
 本堂扁額には「小杉山」とあった。開基された小杉甚七(法号本理常圓信士)を山号としたのだろう。

「常不軽菩薩像」……「法華経」第20番目の章にのみ登場する菩薩らしい。「我 深く汝等を敬う」私も合掌……

イチョウ……東光寺の雄の大イチョウと「夫婦イチョウ」と呼ばれているように、こちらは雌イチョウ。樹齢300年の大木で、夫婦の距離は直線で100mちょっとだから、上の方では顔を見合わせることができるだろう。

参道左側に「妙見堂」……北極星を神格化した国土を守り災いを除く「妙見大菩薩」と、法華経信仰者の守護神「七面大明神」が祀られている。

妙見堂左側の石碑の後方は稲荷社だろうか。

「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」……草木も国土も、万物みな自らの意思で悟りに向かっていける存在なのだと涅槃経に説かれているようだ。

山門を振り返るが……

天神坂の脇門から失礼した……南無妙法蓮華経

【附けたり】(2022年10月21日の写真)
常円寺のイチョウは、目黒区「第1号」、東京都「第10号」の保存樹。やっぱりスマホはきれいだ。

【附けたり】(2022年10月21日の写真)
流石に雌のイチョウだけあって、銀杏がたくさん落ちていた。私は拾ってこなかった。

都立大学駅方向から北に上っていく天神坂を歩くと……

玉垣が目に入る。

天神様こと菅原道真を祀る「北野神社」(目黒区柿の木坂1-32-18)……もとは田んぼの脇にあって農業神として崇められていたが、昭和初期の耕地整理で現在地に移されたようだ。
 平成13年(2001年)、奉賛会有志がご神体(木彫りの天神様)と社殿下部を修復した時、ご神体下部に『安永六丁酉九月二十五日 再興 小杉山十五世日従(花押)』との黒書が発見されたことから、安永6年(1777年)に常圓寺・15世住職が再興したことが明らかになったと。社殿だけの写真を撮りたかったが、狭い境内なのでコンパクトデジカメでは無理だった。

倒れそうな木を、コンクリートの柱で支えていたのが印象的だった。倒れませんように。

【附けたり】(2022年10月21日の写真)
北野神社……広角も撮れて便利だし、やっぱりスマホはきれいだ。

天神坂上から柿の木坂通りを北上すると……

住宅街にポツンとあるとんかつ屋……一度連れ合いと昼食に行ったことがあるが、ものすごーく昔のことだ。ヒレとロースを頼んで、半分こしたっけ。

道路の右側は世田谷区野沢で左側は目黒区東が丘……この日の散歩は記憶にあった中根の馬頭観音を改めて見るために出かけた私。北野神社まで歩く間に「あそこらへんにもあったよな~」とヤマ勘で向かってみた。同じ裏路地は極力使わないので、一度だけの記憶だったし、それも反対方向から歩いてきたはずなので自信はなかったが……

無事に発見……五十嵐建設さんが守っておられるようだ。(目黒区東が丘1-12-19)

よくぞ覚えていたと自画自賛……

2基の庚申塔……右は延宝4年(1676年)造立で三猿のみの図柄。上部のうっすらとした文字は読めなかった。左は青面金剛像らしき姿は伺えるものの風化が激しく文字などは全く分からない。それでも手を合わせてこられて良かった。

今日の「My First JUGEM」は……『なんとか間に合った河津桜……』