足跡(寺社)36・荏原金刀比羅神社・京極稲荷……2018.12.15

2018年12月15日、歯医者の帰りに泉岳寺から高野山東京別院を拝見しての帰り。

壁面にウルトラマンウルトラセブンらしきを発見……Art Galleryのようで興味はあったが入る勇気がなかった。

画廊は素通りしたのに「珈琲Sepia」の袖看板に貼られたステッカー「たばこもご自由にお楽しみ頂けます」に呼ばれた。朝食抜きで出てきたし、水分補給と言う名目の喫煙でしばし休憩。先客が頼んだピラフグラタンは美味しそうだったが、私はブレンドだけで失礼した。

桜田通りを五反田方向に歩くと「了真禅寺」の門前……立派なビルだから立ち入る勇気はなかったが、承応2年(1653年)創建の曹洞宗寺院らしい。(品川区東五反田4-7-21)
「猿町帝釈天安置」とあるが、荏原郡全域が東京市編入となった昭和7(1932年)以前は「大字白金猿町」と呼ばれた地域であり、その昔、南北朝期の頃、新田義貞が西に向かう折に武運を祈って帝釈天を安置したという説があるらしいから、ひょっとすると、その義貞の帝釈天が同寺に安置されているのかもしれない。(あくまで私の憶測)

桜田通りの反対側の大きなビルの足元に鳥居があって「雉子(やすこ)神社」とあった。 片側4車線ずつの通りは渡れないから寄らなかったが、文明年間(1469~1487年)の創建と考えられる古い神社。古くは「荏原宮」あるいは「大鳥明神」と呼ばれていたが、徳川三代将軍家光が鷹狩りをしていたとき、一羽の白雉(キジ)がこの社地に逃げ込んで見えなくなったことにより、家光が神社の名を「雉子ノ宮」と呼ぶよう命じたと。(東五反田1-2-33)
大きなビルだったが、平成6年(1994年)に建ち、社殿はその1階部分に改築されたようだ。

首都高2号目黒線の荏原出口近くに玉垣と鳥居発見……

「荏原金刀比羅神社」(品川区荏原1-16-4)……こんな所にこんぴらさんがあるとは、全く知らなかった。

海の神様、五穀豊穰など広範な神様のようだが、お賽銭を入れて気付いた。賽銭箱にはこんぴらさまらしい丸に金のマークがあった。
 四国の金比羅さまが、なぜこの場所に鎮座しているのか……この地に隣接する形で、江戸時代には讃岐丸亀藩・京極家の下屋敷が存在していた。その地に勧請されたものを、明治から昭和初期のどこかで現在地に遷座させたと推察する。(あくまで私の勝手な考え)

社殿左に小祠も鎮座していたが、あっかんだったのは奥の石……アメジスト紫水晶)の原石らしい。高価なんじゃないかしら?

「洗心」……日本酒を思い浮かべて不届き者の私だが、あの頃は柄杓が置かれていた。1年後の2019年12月に、中国の武漢市で第1例目の新型コロナウイルス感染者が報告されパンデミックになるとは誰が想像していたか……

「親友会」「親栄会」「銀座会」などいくつもある武蔵小山の商店街の1つを歩くと……

京都伏見稲荷の分神「京極稲荷神社」……藩地奉還の世となった後、やはり京極家の下屋敷から大正7年(1918年)に地元の有志が移して奉祀したらしい。ただし、直線距離で170m程に位置する「あさひ公園」も「戸越屋敷」と呼ばれた抱屋敷だったとされているから、敷地内を移動させただけなのだろう。

「品川区立後地公園」……時計があったから撮った。飲まず食わずだったが、ずいぶん早かったな~と感心しながら……

京栄会の路を急いだ。一方通行だから、前からの車だけ注意すればいいからありがたい道だ。

今日の「My First JUGEM」は……『三元豚とんかつサンド……』