足跡(寺社)37・大森貝塚から成田山圓能寺・日枝神社……2019.01.10

ほぼ最後の模型となってしまった1/72スケールのFokker Dr.Ⅰの制作が終わったところ……ジョナサンでモーニングを食べながら新聞を読み「さて、どこに行こうかしら?」と考えて、以前伝え聞いた山王の模型店ギャラクシーをのぞいてみるロングウォークに出かけた2019年1月10日のこと。

大森駅前・山王口で「史跡大森貝塚」の案内を見つけ、「NTT データ」脇のグルグル階段を下りてみた。

東海道線の線路脇に石碑があった。「貝塚」だと言うので、何かそれらしいものがあるのかと思った私がバカでした。モース博士が1877年に発見したと刻まれているだけでちょっと寂しかった。

グルグル階段を上って貝塚を出てきたら、池上通りの反対側にみつけてしまった……

路地の奥に見えた。前日に、連れ合いは義母に連れ添って成田山に行ってきたから私もご挨拶にと向かったのだが……

「進入禁止」……「外側をまわってお寺へお越し下さい」と書かれていたが、地図がはっきりしないのでどっちに行けば良いか分からなかった私はここで合掌一礼。

成田山圓能寺」(大田区山王1-6-30)……室町時代末の元亀2年(1571年)、祐仙和尚によって山号を海光山、院号明王院と号して開創されたが、昭和27年(1952年)に成田山新勝寺の直末寺院となってから成田山圓能寺と号すようになったと。
 手前は「若草幼稚園」……本堂との境にフェンスが巡らしてあるのは、園児が入らないためか、あるいは同寺を訪問する一般人が園内に立ち入らないためか。物騒な時代だから、後者の方が有力かもしれない。

お釈迦様でしょう……熱心にお参りされていました。ご本尊は、小田原北条氏ゆかりの尊像との云われがある「不動明王」だそうで、古来より身代わり不動として人々の信仰を集めてきたことだろう。玉川八十八カ所霊場第75番札所でありました。南無大師遍照金剛

圓能寺の隣に「日枝神社」(大田区山王1-6-2)……もちろん旧別当寺は圓能寺でしょう。

鳥居をくぐると右手に「手水舎」……真新しい提灯は正月のなごりだろうか。

撤収されないテントが「神楽殿」か「能楽堂」を隠していた。少し残念。

かつては、新井宿村の名主・酒井権左衛門の邸内社として滋賀県大津市の「日吉大社」より勧請したようだ。創建年代は不詳だが、別当寺を「圓能寺」が担う事となったのが延宝5年(1677年)とのことだから、それ以前から村に鎮座していたことになる。
 昭和中期に再建された立派な本堂で、御祭神は大山咋命(おおやまくいのかみ)・大己貴命(おおなむちのみこと)とのこと。日吉・日枝・山王神社の総本社「日吉大社」の東西本宮の祭神だから当然だわね。

社殿の左手には境内社「山王稲荷」と「栄利稲荷」が並んでいるのだが、テントに阻まれて近づけなかった。残念……

日枝神社を後にする私……正面が「NTT データ」のビルで横切るのが池上通り。ちなみに、現在 同社を兼務しているのは品川区南大井の「天祖諏訪神社」だった。

池上通りを歩くと「カフェ・ド・クリエ」……チェーン店なのだろうが目にしたことはなかった。「喫煙可」の表示に惹かれて立ち寄った。トイレも行きたかったので……

ブレンドは260円(税込)と安いが、ドトールより美味しかった気がする。店内もトイレも大変綺麗で、好感が持てる。新聞を広げて読める席もあり、近かったら毎朝行くのにと思った私。

レシート下方にあった。2杯目は100円だって。私の暮らす街にも早く出来てもらいたいものだ。

【附けたり】2020年11月28日の写真
 日枝神社を兼務する「天祖諏訪神社」(品川区南大井1-4-1)……区をまたがって兼務していることになるが、直線距離で1㎞強だから大丈夫でしょう。
 かつては神明宮、諏訪社と称し、立会川を挟んで並び祀られていた両社が昭和40年(1965年)に合祀された神社。
 ちなみに、天祖神社の創建は、西暦1100年から1190年頃に遡ると云われる。とにかく歴史のある神社だ。そうそう、東海七福神の福禄寿となっていたっけ。

天祖神社創建時から鎮座していたとされる「厳島神社」の弁天池の鯉……私の記憶に残る写真を載せて、今日はこれでおしまい。

今日の「My First JUGEM」は……『阪神タイガースのワンカップ……』