足跡(寺社)56・南之院・覚源院・本町稲荷神社・理境院……2019.2.4

天気が良かったから、池上梅園の梅状況を確認してから山王の龍子記念館までジグザグに歩いた2019年2月4日のこと……

池上七福神を祀る嚴定院の右わきの路……「く」の字に曲がるが、ついて行けば本門寺へ通じる「大坊坂」が待っている。

路地を少し入ると、右手に「南之院」山門(大田区池上2-11-15)……逆光は苦手だ。

曲がってしまっている……情けないがよくあることだ。

長栄山南之院は、弘安5年(1282年)日蓮聖人の直弟子の中でも最長老の日昭聖人の庵室として開創されたと。古くは大坊の西側にあり「大成弁院」と呼ばれ、日蓮聖人の滅後、日昭聖人はこの庵室にあって本門寺を守ったと。南無妙法蓮華経

本堂は江戸時代後期に建立されたもので、竜の天井画は、徳川幕府の絵師・狩野探玄の筆によるものだそうだ。

白梅がチラホラ……

枝垂れ梅はまだまだだった。(この日以来、梅園を訪れた際は必ずお寄りする)

【附けたり】……2021年2月14日の枝垂れ梅。

鬼瓦……「山門 庫裏屋根瓦改修」とあるから、昭和48年(1973年)以前のものだ。

南之院のお隣に「覚源院」山門(大田区池上2-11-5)……

室町時代(1393年頃)池上の西谷に「蓮池院」として開創された。
 天文2年(1533年)大坊ほか7ヶ寺が火災に遭った後、東谷に移り「妙法坊」とよばれるようになるが、元亀4年(1573年)再び焼失し本門寺祖師堂の東に移る。江戸前期には井出家の厚い外護を受け「井出寺」と呼ばれたが、元禄3年(1690年)ようやく現地に移転。宝暦年中(1751~1764年)に井出為成の法号から「覚源院」と改称されたとのこと。お忙しかった寺院のようだ。

すぐ後方は本門寺……もう引っ越さなくてよさそうです。山号は「廣布山」だった。南無妙法蓮華経

覚源院の脇を登って行く「車坂」の麓に……

鳥居を見つけた(大田区池上1-34-12)……

「本町稲荷神社」……

手水盤……いたずらして出しっぱなしが多いのだろう。水道の蛇口、ひねる金具が取り外し式になっていて無かった。

鳥居をくぐって右に「神楽殿」……

本町稲荷神社の創建年代は不詳らしいが、大正9年1920年)に長栄稲荷、玉造稲荷、田上稲荷の三社を合祀して当地に社殿を建立したようだ。

お狐さんに睨まれた……ちなみに、こちらも南大井の天祖諏訪神社兼務社とのこと。

本町稲荷神社に隣接して山門らしきを発見……

「理境院」(大田区池上1-34-3)……山号は「妙祐山」(結果的に裏門から訪問してしまった)

理境院本堂……ご本尊は三宝尊、読経像とのこと。
 元享年間(1321~1324年)池上本門寺三世日輪聖人の主坊として開創され「大坊本行寺」「照栄院」と共に池上三院家の一つだそうです。この時点で、三院拝謁を完了して喜んだ私。

慶応3年(1867年)に官軍参謀西郷隆盛が宿舎にあてたと伝えられる同院は、明治11年1878年)に堂宇を小学校校舎に使用し、池上小学校の前身となったそうだ。

「理境院山門」……通称「池上の朱門寺」と呼ばれるそうで、古来より朱塗りの山門(赤門)を許された寺院。門前左の石柱には『両山三世 当山開基 日輪聖人草庵跡』とある。
 本来はこちらからお邪魔すべきだったが、門前で手を合わせて南無妙法蓮華経……失礼しました。

今日の「My First JUGEM」は……『ころころ変わる飲食店……』