足跡(寺社)21・池上本門寺の門前寺・2018.10.7……

丸子川沿いを歩いたことがきっかけで、呑川を歩いてみようと思い、池上まで散歩をした2018年10月7日のこと……模型は1/72スケールのFokker Dr.Ⅰを切り出し始めた頃だった。

呑川に沿って歩き池上本門寺の門前にたどり着くと、総門までのこの道の両側には寺が軒を並べていた。日蓮の命日・お会式の直前だったようだ。
 後に、偶然だが日蓮聖人がお生まれになった2月16日にも池上本門寺を訪問した。散歩の途中で「元気でいるよ」と写真を送ったら「今日は日蓮さんの誕生日ですよ」と連れ合いが教えてくれたのだった。

表札はないが「中道院」……日蓮上人の直弟子日頂聖人が開いた庵室を起源として、池上本門寺10世・中道院日陽上人が隠棲(いんせい)した場所のようだ。当日は立ち入らなかったが、梅が綺麗だ。
※   隠棲=「俗世間をのがれて静かに暮らすこと」

本門寺総門寄りの「本成院」……手前が「観音堂」で奥が「山門」

観音堂に手を合わせた。小銭は持っていたが、残念ながらお線香が見当たらなかった。

山号は喜昇山で日蓮宗の寺院……この頃からこの構図で撮っていたらしい。

池上七福神・福禄寿の幟……これがきっかけで、後に七福神は制覇した。

ガラスに映った景色も当時から撮っていたらしい……弘安5年(1282年)日蓮聖人の直弟子日向上人の庵室として池上の北谷の池「とどめき」という所に開創したが、その後東谷にあった本成院が廃寺となったためにこれと合併、再興された。慶長年間(1596~1615年)本門寺13世・日尊上人の隠棲地として整備されたが火災で焼失。享保年間(1716~1736年)に現在地に移り再建され、本成坊と称するようになった……と書かれていた。

「本妙院」……本門寺2世・日朗聖人の直弟子日傅(にちでん)聖人が庵室として池上の西谷に開創。本妙院日逗聖人の代に南谷外溝に移築再興されたそうです。北谷、東谷、西谷……東西南北に開創したようだ。

庵室(あんしつ)=「(小さくて粗末な)僧や世捨て人のすまい。いおり。」と辞書にあったが、ちっとも粗末ではない。

「鬼子母尊神祈祷所」らしい……

「安産祈願」の幟が立っていたが私には無縁……

「常仙院」……天文18年(1549年)本門寺9世・日純聖人の退隠後の庵室として開創……もとは玉蔵坊と称したそうだ。本門寺参道前には退隠後の庵室が並んでいる。

扁額も撮っていたらしい。

本門寺参道から呑川を蒲田方向に少しいくと「照栄院」……山号は朗慶山

正応4年(1291年)日朗聖人の庵室として創建され、嘉吉年間(1441〜1444年)に日鏡聖人が再興したとあったが、いずこも立派な庵室だ。

この照栄院と、大坊本行寺、理境院が本門寺の役寺で「池上三院家」と呼ばれる。

元禄2年(1689年)「南谷檀林」という僧侶教育の学校を開設し、明治2年(1869年)に廃されるまで多くの高僧を送り出したそうだ。

久遠林(くおんりん)……照栄院が営む永代供養のお墓。

古墳のよう……遺骨を納めるのだが、50年忌を営んだあとは墳丘内の玄室(げんしつ)で土に帰すしそうだ。
※   玄室=「古墳の内部にあって、棺を納める室」

照栄院裏側のこの坂を上って行くと、妙見大菩薩が奉安される妙見堂があるのだが……

しんどそうだし、上るか迷ったのだが、運良くここでデジカメのバッテリーが切れたので退却した私であった。三院家も妙見堂も後に訪問した。
たった5年前のことだが、ふり返ってみると懐かしい。

今日の「My First JUGEM」は……『コーヒーの日……』