足跡(寺社)4・妙円寺―瑞聖寺……

目黒不動尊瀧泉寺)に行った際、同寺は「恵比寿」を祀る山手七福神の一寺だと知ったので他の七福神を訪問した2017年2月16日。

国立科学博物館附属 自然教育園の正面……

参道入り口を見過ごして通り過ぎてしまった…

山号は「誠瀧山」と称すらしい「妙円寺」だが、この字は読めない。

住宅に囲まれた細い参道を進むと、こじんまりとした境内があった。

本堂の向こうが妙見堂……碑文谷で開山し、延宝6年(1678年)に現在の地に移ったと云われる日蓮宗の寺院。南無妙法蓮華経

妙見堂には、元禄7年(1564年)に室町幕府の第13代征夷大将軍足利義輝から賜ったとされる「妙見大菩薩像」が祀られているようだ。赤い幟がのぞいているから、山手七福神の「寿老人」と「福禄寿」も同席していることだろう。1ヵ寺に2尊は他所でもあったような気がする。

梅が咲いていた……池上梅園を見学するようになったのは、もっと後だった。七福神やら梅やら、いつも時々の思い付きで歩いてきたようだ。

紫雲山瑞聖禅寺」……寛文10年(1670年)から建設に着手し、翌年諸堂が完成したと云われる江戸で最初の黄檗宗(おうばくしゅう)寺院。黄檗宗は、この4日前の「海福寺」で覚えた。

本来は、こちらが裏門だったそうです。

「大雄宝殿」……二重屋根は黄檗建築の特徴とのこと。右隅に重機が置かれているように、写真左方向にある庫裏の改築工事が始まる直前だった。ちなみに、本堂(大雄宝殿)は国指定重要文化財だった。

「木造釈迦如来」と「阿難・迦葉(かしょう)像」とが祀られているようだが、七福神の「布袋尊」はどちらにおいでだったのだろう。
 始めは恵比寿・大黒天が信仰されていたが、江戸時代中期に庶民の娯楽の一つとして定着したらしいのが今の七福神の形。江戸城の裏鬼門守護のために建立された「山手七福神」は、将軍が鷹狩りの際に参詣した「目黒不動龍泉寺)」の「恵比寿」に始まった江戸最初の七福神とのこと。

本堂手前右側に鐘楼……創建350年という名刹だった。

庫裏建替えの案内が出ていたんだな~

昨年、2022年12月28日……「完成したかしら」と訪問した。暮れも押し詰まったというのに、なんたる暇人なのか。でも、歯医者の帰りだったから許されるだろう。

隈研吾氏の設計した庫裏は、まったく新しいスタイルになっていた。

コの字型の回廊を有する庫裡。回廊の中央には四角い池があり、中央にステージが設けられていた。
ということで、今日も古い訪問先を焼き直してみた。

今日の「My First JUGEM」は……『海洋放出開始……』