足跡(寺社)42・馬込文士村散策のみちと山王厳島神社……2019.01.10

大森貝塚からギャラクシーや寺社を見学しながらブラブラした2019年1月10日のこと。

代六天根ヶ原神社から環七を北上すると、右手に入る路地入口にあった。
馬込文士村 散策のみち」……このあたりの山王から馬込にかけて、多くの文豪が移り住んでいたようだ。『人生劇場』の尾崎士郎記念館や、徳富蘇峰(ジャーナリスト・思想家)の記念館「山王草堂」などは後に訪問した。
「旧池尻川跡」のプレートがある。池尻川など知らないが、埋められてしまったのかもしれない。

山本有三氏の作品はまともに読んだことはないが、シゴーニュさんの正月ブログに登場していたので、なんとなく親近感があったからパチリ。

続いているか不明だったが、植え込みのある道を歩いてみた。

気付くと右側の家々が上げ底というか、路の東側が高台になっていた。

私のような年寄に、こんな石段は厳しい……お住まいの皆さんの心中お察しいたします。

こんな風情のクネクネ路を行くと……

高台が途切れたあたりで右を見たら、奥の方でなにやら呼んでいた。

「山王厳島神社」(大田区山王4-23-5)……丁寧に一之鳥居の後方に二之鳥居が控えていた。神社はもう寄らないと決めていたのだが、出会ってしまった。匂いがするわけじゃないのだが……

たぶん天然石を手彫した手水鉢だが、お清めは失礼した。

二之鳥居から社殿……弁天池の真ん中の島の上に社殿がある。

噴水も作ってあったりしたが、湧水が出ている池らしい。

厳島神社社殿」……創建年代などは不詳だが、祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)らしい。狛犬はとても古そうだった。

池の周囲は「弁天池児童遊園」として整備されている。小さい広場だが、寒いのに7~8名の児童が元気に遊んでいた。顔修正が面倒だから写らないように撮った私。

迷子になると困るので、また元のクネクネ路にもどった。車が通らないので歩きやすくて助かる。

室生犀星」……
 ふるさとは遠きにありて思ふもの
 そして悲しくうたふもの
 よしやうらぶれて異土の乞食となるとても
 帰るところにあるまじや
 ひとり都のゆふぐれに
 ふるさとおもひ涙ぐむ
 そのこころもて
 遠きみやこにかへらばや
 遠きみやこにかへらばや
「抒情小曲集」より「小景異情その二」

「ふるさとは遠きにありて思うもの」……遠く離れた都会に生き、たまに故郷を思い涙ぐむ。室生犀星にとってのふるさと感なのかもしれないが、ふるさとの「犀川(さいがわ)」をペンネームに取り入れているのだから、ずっとふるさとと共にいたことだろう。
 千疋屋にクリスマス・ツリイを配達させていたようだから、すっかり都会っ子になっていたのかもしれない。
 若い頃、信州上田を抜けて金沢の犀川に行ったことがある。川に投げ込まれた錆びた子供の三輪車を、クロスフィルターを付けて写真を撮ったが、残念ながら残っていない。つまらないことは覚えている私だ。

「榊山潤」……歴史はあまり好きではないので、読んだことはない。
でも、「無銭飲食」ではなく「無銭飲」未遂事件だって……このパネルには面白いことが書かれていた。

藤浦洸(こう)」……プレートにも書かれていたが「別れのブルース淡谷のり子)」を筆頭に、「悲しき口笛美空ひばり)」などなど私も聞いた覚えのある歌の作詞家とのこと。

馬込銀座歩道橋あたりから環7に出た。

16時16分……日暮れは早い。

16時44分……「長原駅」近くの東急池上線に架かる「長原橋」の上から、赤く染まった遠くのビルを撮ってみた。旗の台駅は目と鼻の先だったが、電車に乗ろうなどとは考えもせず家路を急いだ私。無制限に歩けそうだったこの頃の自分を羨ましく思う。

今日の「My First JUGEM」は……『毛細血管……』