足跡(寺社)24・荏原神社・2018.10.26……

目黒川を下って、運河を見に行こうと川沿いを歩いた2018年10月26日のこと……

海徳寺山門から目黒川沿いに戻ると赤い「鎮守橋」……竣工は昭和60年のようだが「老朽化しているため、崩れる可能性があるから危険」だと。車の通行・駐車は禁止で、人も留まらず速やかに通行せよとあった。
奥の鳥居が目に入ったから、サササッと渡って寄り道することに……

荏原神社」(品川区北品川2-30-28)……社号碑には「郷社」の文字。
 往古より「貴船社」「天王社」「貴布禰大明神」「品川大明神」と称されていたのを、明治8年(1875年)に「荏原神社」に改称。旧荏原郡=(品川・大田・目黒・世田谷)の中で一番由緒のある神社だったため、荏原郡の名を冠にしたそうだ。いずれにしても貴船社などと称していた頃は、もっと海が近くにあったのだろう。

通称「南の天王さん」として親しまれ品川の南を鎮守したとのこと。ちなみに北担当の「北の天王さん」は「品川神社」。品川神社はずいぶん後になって訪問した。
 同社に立ち寄り休息した徳川家康は、五石の朱印を付して神領とした。それに習って、二代将軍秀忠は元和3年(1617年)、三代家光は寛永13年(1636年)に五石の社領を寄進したとのこと。

「拝殿」は、和銅2年(709年)に大和国奈良県)「丹生川上神社」から高龗神(龍神)を勧請して創建……と書かれていた。現在の社殿は弘化元年(1844年)のものらしいから、今年で179年にもなる。古く遠い昔のこと。

笑顔の「恵比寿さん」……東海七福神のお一人

境内の右手には「神楽殿」……こちらも古そうだ。
 蛇足ながら、荏原神社の三大祭の一つに「荏原天王祭(かっぱ祭り)」っていうのがあるそうで、御神面を神輿につけての海中渡御(とぎょ)が行われる。現在では都内で唯一らしい。6月だからまだ水は冷たいだろう。心臓麻痺などないように願っておく。

無造作に置かれていたが、昭和初期の古い鎮守橋の親柱だろう。

神社を後にして目黒川を下ると鎮守橋の次が「品川橋」……左側に車道もあって広い橋だが、ここの欄干だけ特徴的な形をしていたのでこんな写真になった。

旧東海道の品川橋から振り返ると「品川宿」……東海道を旅する人たちはここを歩いたのだろう。

品川橋の次が「新品川橋」……

さらに下って「昭和橋」の上から運河方面の眺め……左の大きな建物(野村不動産天王洲ビル)あたりに天王洲アイルの駅があるが、運河に囲まれた埋立地

「水門」があった。津波が来た時に閉めるんだろう。品川から芝浦方面には、埋め立てていくつも島を作ったから多くの水門が存在する。

アイル橋(あいるきょう)……右側の「東品川海上公園」と左側の「天王洲公園」とをつなぐアーチの美しい橋。

歩行者専用の橋を天王洲へ渡った。昭和初期まで天王洲は海だったのだが、『室町時代霊夢によって海面に神々しい光を放つ牛頭天王(須佐男之神)の御神面がこの地で見つけ出されたことから、御神域として禁漁区となり、京都の祇園祭に倣う神輿洗いの神事がおこなわれるようになりました。
このことから、名もなき海域が天王洲と呼ばれるようになり、時代の移り変わりとともに様々な変遷をたどって、現在では、荏原大神様のご加護のもと、近代的なビルが立ち並ぶ東京の新名所として知られています。』と荏原神社HPにあった。「天王洲」が海域名だったとは知らなかった。

公園と駅近辺をぶらぶらして、目黒川の運河合流地点に到着……海は見えなかった。

東品川海上公園内の「屋上庭園」に登ってみたが、埋め立て地ばかりで海は遠い。お台場の「大観覧車」が写っているが、現在はないだろう。

運河の向こうはビルだらけ……帰りは勘頼みで別ルートを歩き、疲れたことは思えているが、あの頃はまだ達者だった。懐かしい……

今日の「My First JUGEM」は……『頑張っているハイビスカス……』