足跡(寺社)141・円長寺……2020.1.30

西小山でホットドックモーニングを食べながら「荏原病院を見てこよう」と思い立ったようだ。諸事情で今は止めてしまった習い事から連れ合いが帰宅するのを待って出発したのだろう2020年1月30日のこと……

大岡山小学校あたりから富士山の白い帽子がよく見えた日だ。(12時51分)

雪ヶ谷八幡に寄り道をしてから、住宅街のど真ん中に「荏原病院」はあった。長年にわたり伝染病床を持つ病院として活動されているが、平成11年4月に第1種及び第2種感染症指定医療機関として指定されていたため、当初から新型コロナの患者と向き合ってこられたのだろう。コロナはとりあえず終息しているように思えるが、ご苦労さまでした。

荏原病院を背にして、坂下を横切る呑川に向かう傾斜12%の坂を下った。遠方は武蔵小杉だろう。

呑川に架かる「円長寺橋」を渡って住宅街のY字路を左へしばらく行くと……

「円長寺」山門(大田区南雪ヶ谷5-5-20)……扁額は「毘沙門堂」だろうか。山門ではなく総門になるのかもしれないが、橋の名前にもなっているのだから歴史ある寺院だろうと推察した。

「どうぞお入りください」とばかりに開かれた門はありがたい。

みごとに手入れをされた植木も美しい。右へは寺務所・庫裏まで車で入れるようだ。

山門があって……

この頃からだろうか、このショットが気に入りだしたのは。

本堂の扁額は「照光山」だった。日蓮宗の寺院「照光山円長寺」……創建当初は末寺75ヵ寺を擁し日蓮宗名刹寺院として栄えた碑文谷法華寺(現・円融寺)の末寺だったが、同寺が不受不施派の拠点として幕府より弾圧を受け元の天台宗に改宗してしまった折に身延山久遠寺の末寺となったらしい。

本堂から山門を見る……

境内社らしきは情報不足で不明。

本堂左側に座る半跏思惟の菩薩は後光が差していた。

一枚岩をくりぬいた立派な手水盤……

手水舎はまだ使われている頃だった。頭部だけなのでかろうじて逆鱗はない。

本堂左側を奥へ……

歴代塔墓……開基は常照院日豊聖人・寛永7年(1630年)6月6日75歳、と墓誌に刻まれていた。

左は題目塔だろう。南無妙法蓮華経……

奥から本堂前に向かって……きれいに丸く刈り込まれた植木はツツジかサツキだろう。 ぜひ春に再訪したい寺院と思いながらも4年以上経ってしまった。つい先日訪問したばかりのように思えるが……

梅がチラホラ……この後 一気に咲いたことだろう。

本堂前を通過して庫裏の脇奥に……毘沙門堂は見当たらなかったが、こんな所に「毘沙門天」はおられた。北方の守護神だけあり、同寺の北側におられた。

山門脇から……

不明なことだらけの寺院だったが、とても心地よく拝見させていただいた。ありがとうございました。

今日の「My First JUGEM」は……『昨日はちゃんと食べた……』