4日前に訪問したばかりだったが、満足できなかった桜を見るために再び鵜の木の増明院を訪ねた2021年3月27日の散歩……
増明院を後にして、埋められてしまった六郷用水の跡をあるくとこんな場所の……
植木に隠れて「女掘(おなぼり)」緑地……
徳川家康の命により、多摩川左岸の六郷領(現在の大田区)を潤す農業用かんがい用水路として開削された由緒ある六郷用水。用水奉行・小泉次大夫が開削した。六郷用水が完成した時に次大夫さんは70歳を越えていたというが、管理能力も抜群だったんだろう。現在の小泉コメ大臣は後世に名を残すだろうか。
前年の2020年、梅の季節に訪問した「観蔵院」へ……(大田区西嶺町22-19)
あてにならに記憶を頼りにお寄りしたが、桜はあった。
山門前の寺号碑には「峯照山 観蔵院」と山号も刻まれていた。
山門手前右の「薬師堂」には、寛文元年(1661年)に、観蔵院の前身、正善寺三世順宥が造立した『木造一木造り、玉眼、像高42㎝』の薬師如来坐像(非公開・大田区文化財)が祀られていると。順宥が三河国(愛知県)鳳来寺峯の薬師如来を勧請し、観蔵院の別堂・薬師堂の本尊として安置したそうだ。俗に「峯の薬師」とも呼ばれると。山門脇に「峯之薬師道」と読める古い道標らしきがあった。その他の文字は劣化が激しく読み取れなかった。
山門からいつもの1枚……
本堂前でご挨拶をしてパチリ。
真言宗智山派「玉川八十八ヶ所霊場 第五十七番札所」「東海三十三観音霊場 二十九番札所」
弘法大師様にもご挨拶……南無大師遍照金剛
イチョウの季節はどんなだろうか……
桜が咲いているとまったく違った景色だった。
【附けたり】2020年2月15日……梅の季節
観蔵院の南側、私の後方の女掘緑地から続く六郷用水跡の路を少し上ると……
今度は結構な下り坂が待っている。六郷用水は前方の上流からこちらに流すため、この場所を最大7.5mも掘り下げて水路としたそうだ。ツルハシ⛏とノミだけでの掘削はさぞやしんどかったろう。
「女堀(おなぼり)」のいわれには、「人手不足で女性がかりだされた」とか「女性で活気づけた」など諸説あるらしいが、女性に良い所を見せようと頑張った男性は少なくなかったことだろう。男ってのは結構単純な生き物だから。
美輪明宏が歌う「ヨイトマケの唄」が頭に浮かぶ。50年ほど前に生歌を聞いたことがある。ヨイトマケとは、滑車の綱を引っ張るときのかけ声「ヨイっと巻け」が語源だと。
話がそれたが、写真左のコンクリート塀に……
すき間に石段発見……
「嶺北向庚申様」のプレートがなければ気付きはしない。四方除けのために嶺村集落の周囲に置かれた4基の庚申塔のうちの1基。東向・南向・西向を含めて完全制覇したのがこの日だった。
細い石段を上ると大小二つの祠……左手前に草に隠れるようにある手水盤は明治37年(1904年)の奉納だった。
赤い編み物はお地蔵さんのよだれかけかしら。小さい祠には大きなワラジが……
大きな祠には、青面金剛に踏みつけられた邪鬼や三猿などが描かれた駒型の庚申塔。享保7年(1722年)だから300年前の造立。左手前の三猿だけの角柱も庚申塔なのかしら?
小さい祠には三猿だけ……ここまでコンパクトなものは初めてお目にかかったが、左右でペアなのかもしれない。
嶺北向庚申様から眺めると、正面は坂の頂上にある小さな公園。横切る六郷用水跡を左に辿っていくと、さほど遠くない場所に「嶺西向庚申」がある。この日は別の方向に向かった。
今日の「My First JUGEM」は……『シークワーサーの実』