足跡(寺社)169・道饗神社と東嶺町の祠と嶺南向庚申塔……2020.3.24

多摩川線沼部から池上線御嶽山周辺をブラブラした2020年3月2日のこと……

六郷用水跡→密蔵院→嶺天祖神社と歩き、環八を以前訪問した嶺白山神社方向へ南下すると、歩道に置かれた赤い消火器BOXの前あたりに……

鉄柵で完全にガードされた神社(大田区東嶺町36)……鳥居があるから神社と決めてかかる私だったが……

「道饗神社」と小さな社号碑を目にして「やっぱり神社でよかったんだ」と安堵した。道饗=「みちあえ」と読むようだ。

両サイド共に完全防護……歩道幅がそれほどないのでこんなショットでは満足できず、往来を見計らって車道に出て撮ったのが下の写真。連れ合いに叱られるだろうが、命懸けってほどではなかった。それでも今はやらない。

云われは良く分からないが、Weblio辞書に「道饗祭」というのがあり『昔、陰暦6月・12月、都の四隅に三神を祀って路上で怪物・妖物を饗応し、都に入るのを防ぐために行った祭事』と書かれていた。ちなみに「饗応(きょうおう)」とは何ぞやと思ったら『酒や食事などを出してもてなす事(コトバンク)』とされていたので、そのような祭事を行って都を守った場所なのだろうと納得した私だった。
 さほど古さは感じられないので、環八の整備に伴って少しは移転させられたと推察するが、地元の方々がしっかり守っておいでのようだ。

北に少し戻って脇道に入ると公園……大田区は本当に多い。
 12時9分57秒……公園の時計は正確だった。天気が良かったので、モーニング抜きで早く出かけてきたからお腹が空いていたらしい。

東嶺相生児童公園のわずか東に朱色を発見……

2坪以下であろうブロック塀で囲まれた場所に朱色の鳥居(大田区東嶺町40-2)……参道らしき敷石があるのだが、祠は向こう向き。

道路側から入って、グルっとUターン。3基の鳥居をくぐってお詣りするのだが狭い狭い。南向きにするためにこうなったのだろう。

由緒、云われはまったく不明だが、個人が祀ったものだろう。

御嶽商店街を駅の方にフラフラと北上……当時の日記には「濃厚接触とは程遠い道」と添えられていた。

右角に……見過ごすところだった。

「嶺南向庚申塔」(大田区東嶺町42-1)……しっかり南を向いている。
 江戸時代、外から悪疫や悪霊が侵入しないよう村境に塞ノ神としての庚申塔を立てる風習があったと。この南向以外にも、嶺村の4方向を守る東向、西向、北向は今も現存している。

青面金剛と三猿の駒型庚申塔は元禄13年(1700年)造立。祠はきれいだから改修したのだろう。供えられた生花からも近隣の方々の気持ちが伺える。

商店街の途中のJRに架かっている橋……すぐ近くの東急池上線の駅名は「御嶽山(おんたけさん)」。

何か来たので慌てて撮ったら金網にピントが……

心して撮り直したらコンテナを積む列車のようだった。箱はなくて台車ばかり。新幹線通過を待っていようか迷ったが、お腹が空いていたからパスしたようだ。飲まず食わずで歩いたら良くないことは分かっているのだが、無防備な私だった。

今日の「My First JUGEM」は……『紙風船……』