足跡(寺社)168・嶺天祖神社……2020.3.24

電車の駅で言うと、多摩川線沼部から池上線御嶽山周辺をブラブラした2020年3月2日のこと……

密蔵院山門前の六郷用水跡を歩く。同寺の枝垂れ桜は奇麗だったので、2023年まで毎年訪問した。

進路を東北東に変えて、軽い坂道を上ると太田図書館……

図書館前に目立つ建物は……

「おもちゃ箱」とあったので見えそうなところから覗いてみたが、おもちゃは見当たらなかった。調べたら「オーガニック製品」のようで、私には無関心な会社だった。アンテナショップが自由が丘にあるらしかったが、連れ合いも知らないだろう。

多摩川方向に下っていく道……左側が西嶺町で右側は田園調布南

住宅街の路を、適当に右左折しながら環八・西嶺町の交差点目前……

交差点を曲がるとすぐ、環八沿いに玉垣……

天祖神社」(大田区西嶺町4-10)……天照大御神主祭神として伊勢神宮を総本社とする。「お伊勢さん」なんて呼ばれることも多い神社だが、他所と区別するのに嶺天祖神社としておいた。

石段をトントンと上がったところに鳥居……江戸時代の寛文年間(1661~1673年)、嶺村の住人たちが伊勢神宮へ参拝した折に授与された御神霊をお祀りしたのが始まりとのこと。徒歩での伊勢参りは辛かったろうな~ 追いはぎ、川止めなど難儀したことだろう。

「神明造の社殿」……狭い境内だと思ったら、昭和47年(1972年)の環八建設に伴って境内が半分以下になったそうだ。現在の社殿、鳥居、社務所などは昭和48年建立とのこと。

社務所らしきはあるが、御嶽神社兼務社だった。
 昭和初期には、東調布第一小学校が木造校舎を建て替えたときの古材を譲り受け、境内に「嶺町公会堂」が建立された。その公会堂の中に社務所、嶺町町会事務所が併設されていたが、戦時中は大森区役所(現大田区役所)嶺町出張所が設置されていたとのこと。

目の前を片側3車線ずつの環八が走る。交通事情を考えると拡張は必要だったのだろうが、寂しい境内になってしまった。

注連縄が巻かれているのは御神木だろう。氏子区域はなく、崇敬者で維持されているそうだが、きっちり管理されていた。
 ちょっとビックリなのだが、この狭い境内で川崎市芸能無形文化財に指定されている「袮宜舞(ねぎまい)」が催されると。
 江戸時代中期頃が起源とされる伝統的な厄払いと豊作を祈る神楽で、調布市から大田区六郷近郊まで多摩川の両側の神社や町の広場など約20か所で舞われていたが、戦後において東京側ではこの嶺天祖神社だけになってしまったと。
 5種類のお面を、舞うごとに衣装と共に変えるそうだ。
猿田彦命』通称天狗さまは道祖神で道案内役、人生の道案内の神。
『天鈿女神(あめのうずめのみこと)』天岩戸の前で踊り、天照大御神を慰めた芸能の神様。
天児屋根命(あめのこやねのみこと)』天岩戸の前で祝詞(のりと)を唱えて祈祷した、神事、祭りを司る神。
彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)』山の幸の神。山で鳥獣狩猟を司る神。
大山祇命(おおやまずみのみこと)』山々の緑、山から湧きだす清水、樹々から生ずる木の実等、山の大自然を司る神。
 舞が終わると、やはり江戸時代に始まった「お湯花」という儀式も執り行われるそうだ。幻の舞「袮宜舞」を拝見したかったが、訪問した2020年の4月21日は中止だった。コロナ禍が始まり、アベノマスクを配布した時期だから仕方ない。しかし、無駄遣いをしたものだ。あの小さいアベノマスクは未使用のまま、まだ保存してあるが腐ってないかしら。

見事なご神木だった。

左隅に社号碑……環八沿いの歩道が狭いから撮りにくかった~

今日の「My First JUGEM」は……『珍しくビール飲んだ……』