足跡(寺社)170・本覚寺……2020.3.24

旧六郷用水からブラブラした2020年3月24日のこと……

12時18分の御嶽商店街は閑散としていた。左手前の蕎麦屋「海老民」の袖看板が呼んでいたが、お酒飲んじゃいそうだから見ないようにして歩く。池上線・御嶽山駅は右方向にすぐ近く。正面に御嶽神社の鳥居が見えていたが……

神社の手前左に寄り道……満開まではもうちょっとだった。

立派なソメイヨシノの木と題目塔……日蓮宗寺院と分かってありがたい。南無妙法蓮華経

本覚寺山門」(大田区北嶺町34-3)……境内にも満開だったらすごいことになりそうな立派な桜の木。
 今月の聖語は『娑婆と申すは 忍と申す事なり』……『立正安国論』を奏進するや幕府から迫害を受け、遂に伊豆流罪となられた日蓮聖人だが、流罪自体がご自身の法華経信仰の正しさの証しと受け止め「大いなる悦び」と語られた。迫害者たちに対して「恩深き人」とまで述べた日蓮聖人にとっては、「忍」の極みに見えて来るのが「恩」なのだと。

南向きの本堂へのアプローチ……元和2年(1616年)の創立で開山本覚院日立。享保3年(1718年)に本立寺・本覚寺が合併された。

性光山本覚寺……御本尊は一塔両尊四士
「一塔」とはお題目を書いた宝塔。左右に釈迦牟尼仏多宝如来の「両尊」を配し、下段に脇侍として上行菩薩無辺行菩薩浄行菩薩と安立行(あんりゅうぎょう)菩薩の「四士」が配される。池上本門寺五重塔の初層にも一塔両尊四士が奉安されていましたっけ。
 蛇足ながら、釈尊法華経を説いている時、地から出現して空中に浮かんだ宝塔に座っていたのが多宝如来であり、釈尊に半座を譲って招き入れた。法華経が説かれる場所に出向き、その教えの真実を証明しようと請願を立てた仏であり、釈尊の応援団のようだと学習したのは、後になってからだった。

松を初め、境内の手入れも行き届いていてすがすがしい気持ちにさせてくれた。

昭和20年(1945年)の戦災で焼失した本堂は、昭和32年(1957年)に再建された。

彫刻も見事だった。
 現住職は46世のようだが(間違っていたらごめんなさい)、26世竜王院日松住職は洗足御松庵(現・妙福寺)の開祖とのこと。

【附けたり】(2017年3月28日の写真)
 かつての「洗足御松庵」で、現在は「妙福寺」の門前(大田区南千束2-2-7)……もともとは台東区浅草にあった妙福寺が、昭和2年(1927年)当地に移転し「御松庵」と合併して今に至っている。
 弘安5年(1282年)9月8日に身延を出て常陸国(現在の茨城県)に向かわれた日蓮が、途中池上宗仲邸に立寄るために同18日この地にさしかかり、池畔の老松に袈裟を掛けて休まれ、池で手を洗われた。すると、法華経を守護する七面天女が現れ、日蓮の道中を守護してきたことを伝えたと。後に、この出来事を記念して当地の人々がお堂を建てて七面天女像を安置し、松を守る護松堂を建てたことが「御松庵」の始まりとされる。袈裟掛の松は広重の「名所江戸百景」の一つに描かれているそうだ。阿部サダヲ主演のNHK時代劇「広重ぶるう」には登場していなかったな。7日の最終回には出るかもしれない。

本堂前から山門方向……

墓地方向に題目塔と白い建物……

こういうお賽銭箱は入れにくいから嫌いだが、気持ちだけは入れてくる。

左はお釈迦さまだろう。

本堂左脇に無縁塔……南無妙法蓮華経

無縁塔前から山門方向……

本堂正面奥に、本堂と庫裏の再建記念碑……庫裏の再建は本堂の3年後・昭和35年(1960年)とのこと。

石の橋があるので川を模しているのか、水を溜めたりするのかもしれない。

正面から本堂を収めるにはこれしかなかった。

駅前のイオンはすぐそこ。どんな駅か見たかったが、時期が時期(コロナ禍)だったので遠慮した。

今日の「My First JUGEM」は……『まったく覚えがない……』