足跡(寺社)171・嶺の御嶽神社(前編)……2020.3.24

六郷用水跡からぐるっと一回りした2020年3月24日のこと……桜はまだ満開前だった。

東急池上線御嶽山駅の極近くに鎮座する神社……

御嶽神社(おんたけじんじゃ)……特大社号碑がお出迎え(大田区北嶺町37-20)
 以前訪問した「嶺白山神社」や「嶺稲荷神社」の兼務社だと反省会で知ったので行ってみたかった私。当日訪問した「嶺天祖神社」も兼務されていた。

鳥居をくぐって社殿への参道に狛犬がお出迎え……右端に百度

神様の通り道の真ん中から失礼してパチリ……「正中(せいちゅう)」と呼ぶらしい鳥居や参道の真ん中は歩かないようにしているが……

手水舎はもちろん使用禁止だった。右後方には「水行堂」。

社殿正面……嶺村ができた天文4年(1535年)頃の創祀だが、当時は祠程度のものだったらしい。後の天保年間(1831~1845年・江戸時代後期)に木曽御嶽山で修行した一山(いっさん)行者が来社して以来 信仰が激増したため、天保2年(1831年)に現在の大きな社殿を建立して御霊を遷座したとのこと。
 御祭神は国常立命(くにとこたちのみこと)。「相殿」は国狭槌命(くにさつちのみこと)・豊斟渟尊(とよくむねのみこと)のようだ。

いくつもの扁額が掲げられていて、長い歴史と人々の当社への崇敬が感じられる。「嶺の御嶽神社に三度参拝すれば、木曾御嶽山へ一回行ったのと同じ」と言われ、木曾御嶽山を信仰する信者たちが関東一円から多数訪れたらしい。
 ちなみに、中央に掲げられた「三社宮」は御嶽信仰の三柱を祀った事によるものだろう。

楽殿は、意外とこじんまりしていた。後方に頭を出している鉄塔は、東急池上線の上を通っている送電鉄塔「千鳥線20号」。鉄塔歩きも中途半端になってしまっているな~

楽殿から社殿右側を見ると……

何だろうと思ったら……

扁額に「大鳥神社」とあった。「酉の市」が開催されるなら、かき集める熊手ではなく、コロナをかき出す熊手はないものかと思ったりした。

愛嬌のある顔の狛犬は、天保9年(1838年)の奉納。

御嶽神社社殿後方に石碑が並ぶ。

右側には「霊神碑」……さまざまな講社から奉納されたもののようで、信仰が盛んだったことが伺える。

中央には「木曽御嶽山長崎稲荷大明神」とあるが、小さい石の祠がそうなのか。長崎稲荷大明神は、木曽御嶽山の黒沢口8合目あたりに祀られているそうだ。
後方の大きな石碑には「八百万大神」……

左隅に「渡辺菊太郎の像」……御嶽教を始められた方らしい。

本殿背後……『社殿は天保2年(1831年)の建築……』と書かれている以外に見当たらなかったので、戦災での焼失は免れたのだろうか。

藤原篤意(おきとく)によって製作された木彫で、浦島太郎・養老の滝・司馬温公甕(しばおんこうかめ)割りなど、和漢の物語や古事にちなんだ彫刻らしい。(大田区文化財)

取り囲む彫刻は、悌・孝・礼・忠・信・智・仁・義・鎮とそれぞれ意味をなしていると……

「義」……人の践(ふ)み行う正しい道・水垢離(みずごおり)=心身を清めるための水浴びの図のようだ。最大限のアップで撮れば良かったが、お腹が減っていたから妥協したらしい。

 今日の「My First JUGEM」は……『二番花も咲きそう……』