足跡(寺社)172・嶺の御嶽神社(後編)……2020.3.24

旧六郷用水からブラブラした2020年3月24日のこと……

山岳信仰が盛んになった江戸時代に流行ったのは富士講と大山講とばかり思っていたが、木曽御嶽山を信仰する御嶽講はここから広がったと。木曽御嶽山第一分社として現在の規模まで上り詰めた御嶽神社社殿の立派な彫刻などを拝見して、社殿左側へ……

社殿左の一番奥に『杜の霊神水』……元来ここは一山(いっさん)行者が水行をしていたと謂われる古井戸だったが、長く参拝者から顧みられない状態が続き、年月だけが過ぎて行った。そこで東京嶺一山講・講元(長久保純一氏)を初め氏子総代の協力により、平成20年(2008年)7月『杜の霊神水』として新たに蘇った。神社の杜から生まれ、神社の杜を守る霊神の水。一山霊神の「みたま」の力により、人と自然が一つに成れる場所、それが『杜の霊神水』です。と看板にあった。
 ちなみに、右側の玉垣の向こうは「霊神の杜」と呼ばれる鎮守の森で、霊神碑と共に神域とのこと。

滑車があるから井戸かと思ったら……

小さな祠と、苔むした鉢……鉢にはお賽銭が入っていたので私も真似をしたが、手前の柵からそっと投げるのが難しく、真ん中に入るまでいくらお賽銭使ったことか。情けない。
 昨年12月、珍しく連れ合いと一緒に訪問した蛇窪神社には「運玉投げ」があった。満願岩の穴へ運玉を投げ入れるのだが、連れ合いは全部入った。私はダメだったが、連れ合いが私の運も入れてくれたからありがたい。また一緒に散歩をしたいが、これこそ難しい。

神水の左に……

「一山神社」……御祭神は一山霊神。俗名は治兵衛と言うそうな。

一山神社扁額……当社開祖とある。
 水行などの修行中、御嶽三社の大神達が現れて「早々下山し世間大衆の苦悩を救え、幸い汝に因縁の地あり、都を去る三里」と夢で伝えられたと。そしてたどり着いたのがここだった。
 無の上に 浮きて楽しむ心こそ 真の道の宝なりけり《一山御歌》

一山神社の境内に「お稲荷さん」

「三嶽稲荷大明神」……お狐様が勢ぞろい

一山神社の正面に「水行堂」……信徒さんが水垢離(ごり)をする施設となっており、井戸があるようだ。正面の両脇にある花頭窓が特徴的だが、慶応3年(1867年)頃の建立らしい。

欄間に飾られた龍の彫刻や、(今日は載せないが)木鼻も素晴らしかったが、戦禍を免れたのだろう。

水行堂の右わきに「延命地蔵」……昭和13(1938年)7月5日の阪神大水害の折、兵庫県西宮市を流れる夙川(しゅくがわ)の土手にあったお地蔵様の傍らで数人の女の子が助かった。中でも、我が子の命を救ってくれたことに感謝した前田氏が、荒れ果てた土手からお地蔵様を私邸に引き取った。東京都大田区千鳥町に移住後、前田ハルエさんからお世話を引き継いだ岡町僖子(よしこ)さんにより、平成9年(1997年)6月、当地に安置された。以来「延命地蔵」として人々に親しまれている。(看板より)
 阪神・淡路大震災(1995年1月17日)はしっかり記憶しているが、阪神大水害もあったとは。自然の猛威にはあらがえまないが、命だけは奪わないでと願うばかり。

「第一社務所」……水行堂の後ろにあった。

後ろ髪を引かれる思いで、もう一度振り返って失礼することに……

右に御嶽会館。桜はちょっとだけ早かった。
 コロナのせいで、同年の「五月祭(5月17日)」は中止だった。終息していると私は思っていないコロナには留意して過ごそう。
 東京都のコロナ患者数は増加をたどっている。第26週(6月24日~30日)の定点医療機関あたりは前週の4.70人から5.57人と増加。一週間での報告患者数は2,334人だから大したことはないなどと考えてはいられない。軽症だから、あるいはPCR検査には数千円かかるし特効薬があるわけではないとして病院を受診しない人もたくさんいるだろう。
 前週は25件だった集団発生報告は、保育所4件件、小学校1件、中学校5件、高等学校3件など39件に増えた。夏休みになり人の移動が増えると、また再燃するだろうと覚悟している。重症化はせずとも、相変わらず感染力は強いようだから要注意だ。

 今日の「My First JUGEM」は……『ちゃんと食べた昨日……』