何となく「庚申塔」ってのに興味が出てきたからだろう。あることを知り、ふらっと出かけてみた2020年5月24日のこと……
江戸見坂下……西小山駅近くだが、残念ながら喫茶店ポエムは10日間連休の中日だったから寄れなかった。荏原七福神を知り制覇するきっかけとなった小山八幡神社・摩耶寺は写真左方向。
この日まで気付かなかった「しながわ百景のプレート」がこんな所(交差点の近く)にあった。
小山八幡神社と三谷八幡神社の共同例大祭を「両社祭」と言う。9月初旬の土日のようだが、日曜の夕方に両神社の氏子町会神輿が武蔵小山駅前に集結し、渡御が行われる。この年(2020年)は開催できなかったかもしれない。
立会道路の歩道脇の花をながめながら歩き、裏道に入ると法蓮寺の墓地があった。荏原町駅前の同寺からは直線距離でおよそ800m離れているが、法蓮寺は地元の豪族 荏原氏の居館を寺としたと云われているから、この場所も荏原氏所有だったのかもしれない。(あくまで私の想像だが)
頭をのぞかせているのは永代供養塔らしい。無縁募と違い「法蓮寺が永代にわたって護り御回向御供養をいたします…」とのこと。ちなみに「納骨後の維持管理費は一切不要です…」とも書かれていた。生前に墓所を求める方が増えているそうだ。私も探しておかないとならないかな。海に沈めてもらうのも、ずいぶんお金がかかるらしい。
墓地から中原街道に向かうと……
左右に私好み……「1粒で2度おいしい」グリコのようだ。
昭和大学上條記念館の敷地内に思えるが、記念館が建つ前からあったのだろう。
「旗の台1丁目石造庚申供養塔」(品川区旗の台1-1-22)……品川区有形民俗文化財(第17号)
寛文5年(1665年)に、旧中延村の庚申講中が造立したもので、区内現存の庚申塔50基のなかでは3番目に古いという。
高さ92㎝、幅38㎝の安山岩の板碑型庚申塔は、青面金剛・三猿や日月はなく「南無妙法蓮華経」の髭題目が彫られている。日蓮宗の影響であろうが、村のほとんどが日蓮宗だったようだ。
申供養塔の向こうに……
ポツンと「石碑」(品川区旗の台1-2-14)……
「札場の跡」と彫られている。
「札場」と呼ばれる高札場は、江戸時代に高札が掲示された場所だと。法度(法令・禁令)などを板札に墨書きして、人々の目にふれさせた。指名手配の人相書きや、徳川綱吉の「生類憐れみの令」なども貼られたのだろう。昭和41年まであったとされる樹齢400年の大欅(けやき)は見てみたかった。
札場跡石碑の後ろ……右を走る通りは中原街道。
『中原街道は江戸城の虎ノ門から相模国(今の神奈川県)平塚郊外の中原に通じる街道で、相州街道または小杉道とも呼ばれていました。品川区内では東五反田の桜田通りから西五反田・平塚橋・旗の台を通り、大田区に入って洗足池方向に向かい、丸子の渡し(今の丸子橋付近)で多摩川を越す道筋です。現在は広い道幅ですが江戸時代の中原街道の道幅は3間(約5.5m)ほどでした。(品川区HPより)』……現在も、平塚橋から星薬科大学正門前を通り、西五反田6丁目あたりの旧中原街道には面影が残っている。戸越地蔵尊・旧中原街道供養塔群・子別れ地蔵が道筋に見られる。
「木霊稲荷神社(こだまいなりじんじゃ)」……別名を不思議稲荷とも称うらしいが、朱色に縁どっているのは鳥居を表現しているのだろうか。
「木霊(こだま)」とは、かつてあった東京都認定史跡天然記念物の樹齢350年ほどの大欅をさすと、昭和58年(1983年)に書かれた縁起にあり、この地の守護神を木霊大明神と称したようだ。
後方にある高札場の平成10年(1998年)に書かれた「郷土の会」の説明書きには樹齢400年とあったが、どちらが正しいのか不明。些細なことが気になるのは私の悪い癖だ。
西暦1500年頃、伊勢外宮 豊受大神の姫・別名 久々能智(くくのち)神と、正一位伏見稲荷大明神 宇迦之御魂大神を勧請したと。二礼二拍手一礼はしてきた。
石を彫ったものか、手水盤もあった。
『おみくじの 吉 ふところに 春のかぜ』……味わいがあってとても良い。
「たいぞう」とあるのは、芳根総本家 当主第24代 芳根鋭蔵さんのことだろう。人違いでなければ、国のため、地域の為にご活躍なさった方のようだ。
今日の「My First JUGEM」は……『色付いてきた柿……』