足跡(寺社)26・身延山関東別院玉川寺・2018.11.20……

2018年11月20日のこと……同年10月末日に喫茶店バンが閉店したので、代わりにドトールに通っていたが窮屈なのでジョナサンのモーニングに切り替えた2日目。チビFokkerは、艶消クリアーを吹き終わり終盤にさしかかっていたが、新聞を読みながらまた閃いた。前回は下流だったから「今日は丸子川の上流方向へ行ってみよう」と……

上野毛通りの稲荷坂を下る……この坂に来ると、いつも小走りになる。それでも転ばなかったのは元気だったんだろう。

枯葉が吹き寄せられていた時期だから、汗はかかなかったと思う。

坂を下ると稲荷橋……前回は写真・右(下流)の善養密寺などを訪問したから、この日は左へ。

100mほど進んだところにある「三宅宮コパLC(レディースクリニック)」の隣に……

立派な設えの「三宅宮」……ちょっと解釈に困惑するが、検索したら…『当邸内社はDr.コパの祖父大工棟梁源治郎の代、昭和十年八月当地に降臨されご神示をいだだきました。父昇太郎はその夜夢にみたご神体を彫刻し、邸内社を造営お祀りし、私は幼少の頃よりご神恩に感謝し、Dr.コパの風水を愛する皆様にもお参りいただけるように新たに邸内社として由緒ある当地に建立いたしました。』と書かれていた。

丸子川をまたぐ橋が車庫……

しばらく進むと川沿いに「南大山道道標」……写真の左方向50mほどにある「調布橋」を北の瀬田方向に登って行く「行火坂(あんかざか)」が大山詣でに使われた「旧大山街道」の1本。 瀬田あたりから「二子の渡し」へ行くには2ルートあったと。往きと帰りとで使い分けたのかもしれないが、現在ならまちがいなく246だろう。
 蛇足ながら行火坂を上ると、世田谷百景に名を連ねる「行善寺(浄土宗寺院)」と、テネシーワルツの音符が台座に刻まれているお墓に江利チエミさんが眠っている「法徳寺(浄土宗寺院)」がある。(訪問したのは2019年2月のようだった。)
 ※  急な行火坂を上ると、懐に「あんか」をいれているように身体が熱くなるから「あんかざか」の名前になったと。

丸子川沿いを歩き、246を越えると……

「治太夫橋(じだいゆうはし)」……現在は「丸子川」となっているが、慶長年間(安土桃山時代から江戸時代にかけての1596年~1615年)に徳川家康下流の六郷地方の米の増収をはかるため、代官・小泉次大夫吉次に命じて切り開いた灌漑用水を、代官の名をとり「治太夫堀」と呼んだ。
 私としては「六郷用水」の名の方が馴染みがあるが、大田区に入っても「治太夫堀」の名称も目にする。長いルートの中で、この位置の橋に代官・次大夫の名を付けた理由はなぜか……

太夫橋を渡ると「身延山関東別院」の看板が目に入った。その先は「慈眼寺坂」という上りの路で、文字通り山頂に「慈眼寺」があるのだが、瀬田方面から下ってくるこのルートが「旧大山道」のもう一本の道で、さしずめ前者の「南」に対して「北大山道」と言うのだろう。重要な道に架かる橋だから「治太夫」の名を付けたのかもしれない。 現在の246を挟んで左右に分かれていた大山道だが、大山詣での人たちは、右か左かじゃんけんで決めたのか。あるいは、左右に分かれて歩き、どちらが先に着くか競ったのかもしれない。

身延山関東別院 玉川寺山門(世田谷区瀬田4-12-4)……「ぎょくせんじ」とお読みする。

山号は「妙隆山」と号す日蓮宗の寺院。中央の白衣観音像が出迎えてくれた。左のクレーンが残念だったが、建設工事はとっくに終わったことだろう。

寛文6年(1666年)江戸日暮里に開創された下総中山大本山法華経寺門流の「妙隆寺」に端を発し、昭和7年(1932年) ここに総本山身延山久遠時直末の関東別院として建立されたそうだ。だからだろう、 山号が「妙隆山」なのは……

永年久遠寺に格護されていた御木像である「開運日蓮大菩薩」が奉迎安置されていると。南無妙法蓮華経

扁額は読めないが「開運究」なのか? 連れ合いが何とかしてくれるかもしれない。彫刻も素晴らしい。よく似たのをどこかで目にしたような気がする。

こっちを向いている木鼻の彫刻は「獅子」で、左向きは「獏(バク)」だろう。他にも象や龍の木鼻があることをこの先に知ることになる。

寺務所あるいは庫裏らしきがあるが、私はご朱印集めをしないので無縁。写真前方は高台になっていて、玉川神社を経て慈眼寺まで上っている。

難しそうだが手入れの行き届いた庭。小さいが、手を合わせた仏像を見ると、思わず合掌してしまう。
 同寺門前から、カールルイスなら10秒ちょっとでたどり着く場所に「玉川大師」があるのだが、川沿いを歩くだけだからと下調べをしなかったから寄れず、後日訪問した私だった。
 誠に蛇足ながら、昨日は「スポーツの日」だったが、なんで「体育の日」の名称を変えた上に移動祝日にしたのか。
 東京五輪2020では、さかんにレガシー(legacy)を連発していたのに、昭和39年の東京オリンピック開会式・10月10日の記憶は何処へ行ってしまうのか。世界で使われている「スポーツ」の言葉を使いたかったのかもしれないが、ここは日本だ。そして日本の祝日ではないか……

今日の「My First JUGEM」は……『雨なのに……』