足跡(寺社)70・目黒不動境内社と比翼塚……2019.3.2

天気が良かったので、林試の森公園河津桜を愛で、足の向くまま歩いた2019年3月2日のこと……

目黒不動尊の道路を隔てた場所に鳥居と共に「江戸最初 山手七福神 恵比寿神」の石柱がある。(目黒区下目黒3-20-31)
 白金台の清正公からここ龍泉寺目黒不動尊)に設置された江戸最初の七福神巡りルートは、3代将軍・家光以来、徳川の厚い庇護を受けて隆盛を極めた同寺にとって江戸庶民を導くには格好だったことだろう。周辺は門前町として発展し、目黒名物の飴や餅を売る店が軒を連ねたと。
 かつては同一境内であったと推測するが、現在は道路で分断され、五反田-渋谷間を結ぶバスが運行している。

鳥居をくぐると朱色の橋が池にかかっている。

橋を渡ると3社並んでいるが、手前に「豊川稲荷社」……

詳細は不明だが、門前町の商売繁盛のご利益を願って勧請されたのかもしれない。豊川稲荷というと神社を想像するが「妙嚴寺」と称するれっきとした曹洞宗寺院。龍泉寺とは宗派が違うのだが、寛大・寛容なのだろう。

険しい顔のお狐様は、知恵の象徴の巻物と、神様のご神徳の象徴・芳珠をちゃんとくわえていた。両側に小さな鳥居がいくつもさがっていた。社前に場所スペースがあれば大きな鳥居が並ぶのだろうが、コンパクトな奉納鳥居だった。

中央に「三福堂」……恵比寿神・弁財天・大黒天の三福神を筆頭に七福神すべてが祀られている。かつては「弁天堂」だったらしい。

山手七福神の一神「恵比寿」さんが、ポツンと留守番をしていた。かつては大黒天も龍泉寺だったようだが、現在は「大円寺」が祀っている。目黒不動尊境内に真新しい大きな大黒様がおいでだったのは、そういうことかも知れない。

一番奥に「福珠稲荷大明神」なんでも柵で囲ってしまうみたいだが、いたずらする輩がいるのだろう。私はいたずらしないんだけど……

神狐様、たくさんおられた。

「金明湧水(こんみょうゆうすい)」……福銭洗いだそうで「三福神にお参りしてから、ご縁に導かれますよう、洗うお金に五円玉を添えて一緒に洗ってください」とのことだった。洗った五円玉は連れ合いへのお土産にしたのだった。

池のむこう、右の建物は茶屋らしい。

龍泉寺の飛び地を離れ、仁王門の手前の道路わきに玉垣で囲まれた場所……稲荷社と比翼塚の間に立つ石碑には「新東京名勝 選外十六景 目黒不動」とある。報知新聞社昭和7年(1932年)に「新東京八名勝」を選定したのだが、その選に漏れた十六名勝の記念碑。
 八名勝のうち「池上本門寺」「西新井大師」「北品川天王社(品川神社)」「祐天寺」「洗足池」「亀戸天神」は訪問したことがある。残るは「日暮里諏訪神社荒川区)」「赤塚の松月院板橋区)」だ。十六景は、同寺以外に「大井の大仏」「九品仏」「柴又帝釈天」ぐらい……遠い所はなかなか行かれない。

伏見稲荷」……この場所も龍泉寺の敷地だろうが、頻繁にバスが通るからおちおち写真など撮れない。不確かだが、現在は朱色の鳥居が建てられていたかもしれない。

「比翼塚」……ここ以外にも比翼塚は存在しているが、元祖なのかもしれない。

『処刑された愛人白井権八と、彼の墓前で自害した遊女小紫。その悲話は[後追い心中]として歌舞伎などで有名だが、この比翼塚は、二人の来世での幸せを祈りたてられたという。』と、ここには説明書きがあった。
武士であった白井権八と遊女の結末だが、木札に書かれた「江戸情緒」って言葉がしっくりこない私……

今日の「My First JUGEM」は……『花屋の店先……』