足跡(寺社)68・城南島海浜公園を目指した日の磐井神社……2019.2.23

呑川も目黒川も下ってみたが、海らしい海には出会えなかった。そこで「再び海を見に」ということで、城南島海浜公園まで行ってみようと無謀にも出かけたのは2019年2月23日のことだった。

すでに慣れていた環7を歩き、馬込銀座から大森駅を経由して京急大森海岸駅まで到達……

大森海岸駅下のガードをくぐると第一京浜(かつての東海道)……国道だけあってさすがに広いのだが、横断歩道がない。歩行者はこんな歩道橋を渡れと言う。まったく人に優しくないと立腹したのだが、序の口だったと後で知る。

歩道橋は面倒なので、渡らずに第一京浜を南に少し歩くと、まったく予期していなかった出会い。下見で地図を見たときには気付かなかった。

磐井神社(いわいじんじゃ)」参道口(大田区大森北2-20-8)……先の道のりはまだ遠かったが、寄らないわけにはいかない。

鳥居をくぐると右に手水舎……立派な造りだった。安産祈願は私には無縁だが、お子たちは元気に生まれてきますように。

創建は、第30代・敏達天皇(びだつてんのう)の代、573年と伝えられる。
 敏達天皇の名前は初耳だったが、配偶者は推古天皇であり、日本史上最初の第33代天皇となられた。そんなことがあったのかと思ったのが、敏達天皇推古天皇の父親は第29代・欽明天皇(きんめいてんのう)だと。母親こそ違えど異母兄妹で結婚していたとは驚きだ。

大きく立派な破風が重厚感を感じさせる「社殿」……ご祭神は「応神天皇」「仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)」「神功皇后(じんぐうこうごう)」「姫大神(ひめがみ)」「大己貴命(おおなむちのみこと)」とのこと。
 当日はまったく気付かなかったのだが、東海七福神の弁財天が祀られていたらしい。知ってしまったので、後に東海七福神の他の6寺社も訪問した。

社殿扁額には「武蔵國八幡總社」……六十六州ごとに定めた八幡社の総社を意味し、平安時代貞観元年(859年)に武蔵国の総社八幡宮に定められたと。

社殿右奥にはいくつもの石碑が並んでいたが「江戸文人石碑群」と言うらしい。
 非公開ながら、これを打つと鈴のような音がした神功皇后ゆかりの石「鈴石」や、江戸時代の書家・松下烏石が寄進した、鳥の模様が浮き出た自然石「烏石(うせき)」も屋内に保管されていると。
 同社近くに「鈴ヶ森刑場」があるように、江戸時代 同社は「鈴森八幡」と称されたのだが、「鈴石」が鈴ヶ森の地名の由来となったのかもしれない。
 表を国道が走り、裏手には京浜急行が通る現状を見ると、境内は相当縮小されたのだろうと思われる。

参道右に神楽殿境内社……

「海豊稲荷神社」……地元の方々の崇敬を感じる。

二礼二拍手一礼……

真東に伸びる参道鳥居の先は東海道があり、その先は海だだったかつては大きな朝日が拝めたことだろう。平和島などいくつもの埋め立て地ができる前とは、風景が一変してしまった。

樹齢は不明だが、ご神木であろうイチョウは立派だった。変わりゆく街と行き交う人々を眺めながら、歴史を紡いできたことだろう。

東海道を左折して、平和島へ……またしても歩道がない。どこまでも人に優しくない地域だ。

「よっこらしょ」と歩道橋を上った……向かいたい方向だが、中央の車道(平和島陸橋)は歩行者が歩けない。歩けたら助かったのだが……

側道を歩くと、首都高1号羽田線と海岸通りが横切っていて、またしても歩道橋を使えと。私は平和島陸橋の下にいるが、ここは歩道はあっても信号機がない。歩く人は少ないからと思ったが、(多くの写真は載せないが)先へ進むほどその状況は明らかになった。

首都高を越えて少し歩くとモノレール(右が羽田方向)……思いの他、頻繁に走っていた。流通センターや倉庫地帯だから、人など歩いていない。従って道は車最優先の作りなんだろう。

「新平和島橋」を渡った。川に思えるがそうではなく「京浜運河」……人工島に囲まれた運河だ。向こう(南)に見えるのは環7が走る「大和大橋」だ。あっちの道を行けばよかったかしらと後悔した私……

大井ふ頭中央海浜公園」や「東京港野鳥公園」を越えて進路を少し変えるとコンテナの山……船舶から降ろして陸上輸送を待つ、あるいは陸上輸送してきたコンテナを船に積むまでの間、保管して受け渡しをする場所。どこまで行ってもコンテナコンテナコンテナ……「バンプール」って言うそうだ。当然 人の姿はない。私独り。

面白くないコンテナの景色に飽き、歩くことがすっかり嫌になっていたらANAゲット……

引き返そうと思ったが「城南島ふ頭公園」で休憩し、道路に信号機のない広い「工業地帯」を抜けて、ようやく「城南島海浜公園」に到着。

園内に入り、正面に海らしきを目にして、少しだけ元気に……

浜の右に羽田飛行場……

浜で遊ぶ親子がほほえましかった。

東京湾の海を見ることができて満足だったが、砂利っぽい砂には少しがっかり。おまけにスニーカーにたくさん入り込んでしまった。
 時刻はすでに15時……公園からのバスはあったが、出てきた風の中をポツンと独り立って待つのも難儀だからと、次のバス停「大田市場」まで歩き、なんとかやってきたバスに乗車できた。思えば、こんな場所まで歩いていくことが間違いだったようだ。しかし、片道13㎞の散歩だったが、元気だった当時が懐かしい。

今日の「My First JUGEM」は……『年を越したサルビア……』