足跡(寺社)67・玉川大師……2019.2.20

玉川大師に行ってみてと、連れ合いに薦められて出かけた2019年2月20日……

高台にある行善本堂裏から八景を眺めて降りてくると、歩道橋……

上り電車通過……田園都市線はここから潜っていくのを確認した。

目的地へは方向的にこの歩道橋を渡っても良かったのだが、地下鉄の上部に造られたこんな歩道を歩いてみた。幅は狭いが公園もあった。

枝垂れ梅は見頃だった。

緩やかにカーブしながらトロトロ下り坂……「歩道橋 渡っちゃえばよかった」と、ちょっと後悔。

横断できない246を迂回するのにトンネルに向かってまだ下り……上りより良いが、逆光は苦手。

「瀬田アートトンネル」……前回はワンブロック左の丸子川にこだわったからトンネルを出てすぐに左折してしまった。

この日は女学生の後をついて直進……ストーカーではない。

大きな看板が見える。前回(同年1月24日)は川にこだわらなければ遭遇出来たのにと後悔したが、目的が違ったのだから仕方ない。

「玉川大師 玉真院」(世田谷区瀬田4-13-3)……正式名称を「寶泉山玉眞院(ほうせんざんぎょくしんいん)」と称する真言宗智山派の寺院で、弘法大師が祀られている。玉川八十八ヶ所霊場5番札所になっているが、創建は大正時代とされる同寺なのに「なぜ5番札所なのか」……始まりの「四郡多摩川八十八所」が明治に入り「多摩川八十八所」となり、昭和48年(1937年)に現在の「玉川八十八所」となるのだが、関東大震災の影響を受けて10数ヵ寺が移動したため、同寺が加わったと推察できる。
 余談はさておき、当日の目的は本堂地下5mの深さにに設けられた拝殿「奥の院 地下霊場遍照金剛殿」を巡拝することだった。
 頂戴したパンフレットには『この仏殿は、私たちのいのちの根源である巨大な”秘仏大日如来さま”の胎内を表す。本堂直下より境内の地下一円に及び、四国88か所 西国33番両霊場のお大師さま・観音さまを悉(ことごと…たぶん)くお迎えし、有縁の方々に結縁す。……竜海和尚心血を注いで昭和9年(1934年)に完成した本邦稀有の秘密マンダラ大殿堂なり……』と書かれているが、とにかくスゴイ霊場だった。

さて、石段を上がり、本堂前でお線香を供えて本堂に上がると7~8人の女性たちが説明を受けていた。その説明を耳にしながら、私は本堂内を見学……(堂内撮影禁止のため写真はない)
 多くが私よりご高齢の方だったが「灯りがないので壁に手を付けてゆっくり進んでください」「多少の上り下りがありますから、先の方は声を出して教えてあげてください」あるいは「前の方の肩に手を置いてお進みください」なんて説明を受けたものだから、出発を前にしてみなさん尻込み。「お先にどうぞ」「いえいえ、あなたから」なんて譲り合っていた。
 そんな姿を横目に、むき出しになっていて「嫌だな」と思った帳面(ただの紙を閉じただけ)に渋々記帳し、灯明料(100円)を納める。私は男だからまだ良いが、住所・氏名がフルオープンでさらされているのはどうかしらね?と小首をかしげた記憶は新しい。現在もそのまま継続されているかは不明だが、参拝料は本年1月1日から800円(中学生以上)になったようだ。
 尻込みした訳ではないが、最後に本堂に上がった私は最後尾で出発した。右側に手すりの備えられた真っ直ぐな階段を地下へ下りるが、途中でストップ。前を行く女性親子が階段を降り切ったところで、進路であろう右を向いて「怖い…私行かれない」と立ち往生をしていた。追い越したくともできない狭さ(二人並んでは歩けない)だから、「そんなに怖いんかいな?」と思いつつ、しばらく待ってやっと私もスタートした。
霊場内も撮影禁止だったので、残念ながら写真はない。(次の2枚は自作)

細い階段を下りて突当りで右を見たらすでにこの状態……真っ暗……「一寸先は闇」と言うが1㎜先も見えない。足元も天井も両壁も何も見えない。ただ左右にある壁に添える手と、地面に付く足裏の感覚だけで進まなくてはならない。まったく光がないから目が慣れるなんてことは絶対にない世界は初めての体験だった。心眼など持ち合わせていないから怖いことこの上ないが、目の不自由な方の気持ちを思い知った私だった。
 前を行く親子の声がしていた間はよかったのだが、あきらめたのだろう、途端に声がしなくなった。見えないから前との距離感が全く分からない。下手をしてぶつかるとセクハラになりかねないから、超スローペースで進んだ。

足を地面にスリスリしながらしばらく進むとこんな具合にかすかな灯り(分かるかしら?)。その灯りが遠いのか近いのか距離感がまったくわからないままに進むと、観音様を祀った薄暗い洞窟があった。そこを出ると再び真っ暗な迷路を壁だけを頼りに右や左に歩かされる。(この画像は画面に対しての角度を変えると白っぽい個所がなくなりますが、実際もこんな雰囲気です。)
 ちなみに「南無大師遍照金剛」と唱えながらが、ここでのお遍路の仕方。
 薄暗い洞窟を二つほど経て、いよいよ霊場に到着する。広い洞窟のコの字型通路の左右にびっしりと並ぶ八十八所の石仏は圧巻だが、それぞれ微妙に異なる表情を拝見するのが精一杯の明るさ。「自分の数え年の番号の石仏をきちんと拝んで」と言われていたが、台座に彫られた番号を読むのも一苦労。前にいた親子が娘さんの年の前で拝み、次に母親の番号を探すところだった。「お先にどうぞ…」と娘さんが言ってくれたのだが「どうぞどうぞ」とついて行く私。娘さんが見つけた母親の番号は幸いにも私の一つ前だった。とにかく暗いので苦労はしたが、なんとか発見して私も無事に拝むことができた。
 さらに真っ暗な迷路を進み、最後にお目にかかるのが高さ2m20㎝、重さ約2tのミカゲ1枚石のご本尊・弘法大師さま。100円を置いて鐘を鳴らし、その場所だけスペースがあったので皆さんを一気に追い越して退散した。
 石仏総数300尊体、深さ約5m、参道約100m、鉄筋コンクリート造りの奥の院……恐怖体験をされたい方は訪問されたらよろしいかと。
 蛇足ながら、霊場への入り口にはスリッパが段ボールに詰め込まれていたから借りられるが「水虫移るといやだな~」と私は使わなかった。但し、足が冷えたのと、靴下が汚れてしまったからスリッパ持参がいいかもしれない。入場前の説明では所要時間は20分ほどと伺ったが、当日は30分かかった。先頭を行けばよかったかもしれないが、真っ暗闇の霊場は怖くて容易くは進めないだろう。

やっと明るい地上に出て本堂左に「インド伝来 長寿の銅鑼(かね)」……「一打100円」……なんでも100円の同寺だったが、値上げされたかもしれない。

本堂右には梅が咲いていた。手前の石像は、以前訪問した善養蜜寺にもおられた。本堂を下りると写真方向塀沿いに、複数の石像が並ぶ。(以下、全部は載せない)

手水盤と龍に始まり……

観世音菩薩……「ぼけ封じ」とのことなので手を合わせてきたが、ぼけ気味が進行している私だ。

左は「水子地蔵尊」だろうが、右はどなたか?

奥はこんな具合……線香は本堂で供えたので失礼した。

六地蔵さまも整列……

弘法大師の足元左は「愛染明王」かもしれない……目黒不動でもお会いした。

右は「不動明王」……真言密教の最高仏と位置づけられる大日如来は「金剛界」と「胎蔵界」に分かれる。金剛界を代表する明王不動明王で、胎蔵界を代表する明王愛染明王だったような。

そして「修行大師像」……南無大師遍照金剛

読みづらいが、連れ合いなら読めるだろうと撮っておいた。高野山を賜った弘法大師が開創するに際し、山頂まで道案内をしたのは二匹の紀州犬を連れた狩人だったと。

玉川大師のとなりに「敬親玉川教会」……教会とあったし、日蓮さんのご関係とは知らずにお寄りしなかった。

ちょこっと歩くと「なんだなんだ ここだったんかいな~」と「慈眼寺坂下」……身延山関東別院・瀬田玉川神社・慈眼寺を訪問した時(2018年11月20日)に通った道で、旧大山道。あの時は玉川大師に気付かなかった私だった。この後も同じエリアを幾たびも歩くことになる。

今日の「My First JUGEM」は……『ピンクのシャコバサボテン……』