寿福の庚申塔

『区内には約70基の庚申塔がありますが、ここでは散歩がてら見に行けるもの、保存状態の良いものなどをいくつか紹介します』として、20ほどを紹介している『庚申塔めぐりガイド』があります。見つからない1基を除いて、以前に制覇したので簡単に焼き直してみる私です。順番は「めぐろガイド」に従います。

f:id:kazenosanpo:20210903103034j:plain「新清山観明院壽福寺」参道口 (上目黒5-16-6)野沢通りに面しています。

f:id:kazenosanpo:20210903103054j:plain参道の直線がとても良い雰囲気でしたっけ……

f:id:kazenosanpo:20210903103113j:plain壽福寺山門の両サイドで、地蔵尊庚申塔が出迎えてくれます。

f:id:kazenosanpo:20210903103133j:plain(山門右)……「相生地蔵」と呼ばれる2基の地蔵尊。右側の地蔵尊は明和2年(1765年)で、小さい地蔵尊は宝暦9年(1759年)造立。「延命地蔵尊」だったはず。

f:id:kazenosanpo:20210903103151j:plain(山門左)……知識不足で右の小さい石仏は分かりませんが、左のが目黒区の「ガイド」で「寿福の庚申塔」とされるものです。

f:id:kazenosanpo:20210903103212j:plain区内初期の代表的な作品と言われる舟型光背型の青面金剛像は、寛文6年(1666年)10月建立。ちなみに、本堂には寛文3年(1663年)に鎌倉の仏師・法橋三橋靱負と弟子伝之丞によって刻された「青面金剛木造」が安置されているそうです。

f:id:kazenosanpo:20210903103235j:plain元和元年(1615年)に大阿闍梨鳳算大和尚によって現在地に創建されたと伝えられる天台宗寺院・寿福寺ですが、草創はさかのぼること室町時代末期にはすでに草庵が結ばれていたと推察されるようです。同寺の御本尊は「阿弥陀三尊」です。

f:id:kazenosanpo:20210904125741j:plain前の写真正面は本堂ですが、扁額は『念仏堂』……現在の本堂は昭和50年(1975年)に新築落慶とのことですが、旧本堂は明治13年(1880年)に行人坂の明王院念仏堂を移建したもの。よって、由緒あるこの「念仏堂」の扁額は今に引き継がれているようです。
明王院念仏堂には、こんな話がある。八百屋お七の情人吉三は、出家して西運を名乗り明王院に身を寄せる。明王院境内に念仏堂を建立しようと考えた西運は、建立するための勧進とお七の菩提を弔うため、目黒不動浅草観音に1万日日参の悲願を立て、雨の日も風の日も往復10里の道を念仏を唱えながら日参したと。そして、27年後に念仏堂が建立されたとのこと……すごい人がいたものです。

f:id:kazenosanpo:20210903103254j:plain観世音菩薩でしょうか、三界萬霊塔の上にお立ちです。涙を流しているように見えるお顔が心に残っています。かつての同寺周辺の地は、武蔵野の一角とはいえ無人の原野ではなく、古く縄文・弥生時代から人びとの生活が営まれていたようです。近隣にある東山貝塚が物語っています。(2019年5月26日の訪問でした)

【余談】

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2月に訪問した「密乗院」にも『相生地蔵尊』がおられました。……『この地は明治の頃まで大森村字相生(あいおい)と呼ばれていました。相生には助け合って生きる意味があり、水子地蔵様と六地蔵様に相生地蔵尊と名付けることにいたしました。』とのことでした。
「相生」=「いっしょに生きる」大切なことです。

今日の「My First JUGEM」は……『早くも失格…デジタル監』