足跡(寺社)107・九品仏紅葉調査から「地頭坂の大日如来尊」と「御岳山古墳」……2019.11.29

「ちょっと早いよな~」とは思ったが、散歩がてらに紅葉調査に出かけた2019年11月29日のこと……

九品仏浄真寺の仁王門前はまだまだだったが、裏側のこれだけはなんとか見られた。(世田谷区奥沢7-41-3)

仁王門脇に「奥沢城跡」の碑……
『奥沢城跡は、中世世田谷を治めていた吉良氏または同氏の家臣である大平氏の居館であったと伝えられています。天正18年(1590年)、小田原北条氏が滅び、吉良氏は下総国に逃れ、大平氏もまた等々力に潜居しました。その後、奥沢城は廃城になったと考えられます。その後、延宝6年(1678年)に浄真寺が建立され、周囲を四角く囲む土塁はよく原形をとどめています。』(世田谷区HP) 城跡だったのね。

参道左側は緑だらけ……全部揃うのは難しそうだった。微妙に陽当たりが異なるから仕方ない。

イチョウは毎年早い……

すでにたくさん散っていた。銀杏はなさそうだから雄のイチョウだろう。

定点観測のように撮っていた三佛堂前もまだまだ……予測通り早過ぎた。

【附けたり】2017年12月6日の写真
おんぼろコンパクトデジカメでなければ、もう少し綺麗に撮れたのだが……

訪問時は九品仏にもご挨拶する。上品堂の三仏像……左から、下生・上生・中生。

境内の所々に少しは見られら紅葉……みなさん良いカメラをお持ちだが、コロナ禍前だったのにマスクをされていたのね。

閻魔堂は場所が移って、建物も新しくなっていた。

環八を越して、狐塚古墳(世田谷区尾山台2-17-10)に寄ってから向田坂を下りきると、今度は上りの石段が待っている。昔はこの丘を地頭山と呼んでいたらしく、現在は石段になっているこの坂を「地頭坂」と言うが、中腹に「大日塚」という古墳が存在したようだ。宅地開発が先行したために、詳しい古墳調査はなされなかったらしい。

20段ほど上ると右に(世田谷区等々力1-26)……見て見ぬふりは出来ない私。

少し踏み込むと、左に折れ曲がって……突き当りに何やら?

朽ちた祠があった。左側は表の石段。

錆びた鏡とゆがんだ社だけ……正体不明

少しバックして敷地奥に進めたが、この石段は不安定だった。

蜘蛛の巣をかき分けて上ると祠が3つ……

手前は比較的新しい地蔵菩薩……

中央が「大日如来」であろう。年代等はまったく読めないが、坐像でなく立像は珍しいかもしれない。

一番奥も地蔵菩薩だった。

円墳と云われる「大日塚」という古墳は、この辺りなのだろう。

【附けたり】(2020年2月15日の写真)
盛り土されたようなこの場所は「鵜の木一丁目15番古墳」(大田区鵜の木1丁目)……樹木の陰に……

祠が二つ建っている。その後、工事がなされていたから、現在はどうなっているか分からない。古墳に祠は付き物のようだ。

3基の祠の正面にはこんな石段もあったが、下りても行き場がなさそうだから引き返した。

表に出て、地頭坂を上った。

丘上の閑静な住宅街を進むと、目黒通りに向かって下り……右方向へ回り込むと……

「御岳山古墳」(世田谷区等々力1-18)……左の門は閉じられていた。5月28日だけ開放されるとのこと。

石仏・石碑は点在しているが、祠は見えなかった。

御岳山古墳は、国分寺崖線上の高台、上野毛から尾山台にかけて広がる野毛古墳群のなかの1基で、野毛大塚古墳に次ぐ規模をもった大型の帆立貝形古墳とのこと。幾度も発掘調査がなされたようで、七鈴鏡・鉄製短甲2両・鉄製武器・埴輪などが出土しているそうだ。5世紀中ごろの古墳らしい。(野毛大塚古墳は今日は載せない)

今日の「My First JUGEM」は……『ブルーベリーの花……』