足跡(寺社)105・野澤山正徳寺鬼子母神堂……2019.11.17

蛇崩川緑道を歩いて駒繋神社を訪問した2019年11月17日のこと……

駒繋神社から下馬5~6丁目あたりを少しウロウロして、フロッピーディスクを発明したとおっしゃるドクター中松さんのお家。

[St.]=street……ストレートに[通り]
[Ave.]=avenue……[並木道]あるいは[大通り]を言うのだろうが、[Fifth Avenue]から[街]としたのかもしれない。
[Square]……四角い[区画][区域][広場]と言った意味だろうが……思いついた単語を並べちゃうあたりがドクター中松らしいかもしれない。

『探しものは何ですか?
 見つけにくいものですか?
 あっちの路地も こっちの角も
 探したけれど見つからないのに…』
 なんて陽水を口ずさみながらウロウロ……

まさかこんなとこじゃないよな~ 他所の家に入っちゃいけないよな~ と思いながらも……

踏み込んだらマンションの裏に階段があった。

上って行くとお堂だけでなく、石像も目に飛び込んできた。お堂までは丁寧に足場となる飛石が並べられていた。(世田谷区野沢3-10)

正面に鎮座するこれが鬼子母神堂かと思いきや……

扁額には「野澤山 正徳寺」とある。

手を合わせてからガラス越しに失礼すると、正面上段は阿弥陀三尊であり、左のケースには「鬼子母神」と「十羅刹女」が祀られていると推察する。
 右の位牌には「法界万霊有縁無縁精霊」とある。かつて、この辺りの農家のために品川用水の水を引き入れた野沢水車が造られたが、その工事の際に土中から人骨が出てきたため、南無妙法蓮華経を数万部写経して正徳寺と水車に納めたとの伝があるようだ。
 なお、最前列に石の題目塔があるため、日蓮宗寺院であろう。

石像・石碑が並んでいるが、樹木はすべて保存樹となっていた。

お堂の前 右にある石碑には「野澤山正徳寺」「馬引澤水神」と2つ彫られている。用水路が氾濫しないよう、あるいは水車橋で事故のないように水神を祀ったのかもしれない。
 表通りのバス停は「水車橋」であり、今も歴史の断片を残してくれている。

お堂の前 左は「大乗妙典供養」と書かれた供養塔で、宝暦10年(1760年)造立と古い。大乗妙典とは一般的には法華経であり妙法蓮華経のことだから、同年にも写経を納めたのだろう。

石像石碑……

奥に寛政6年(1794年)造立の「廿三夜供養塔」……月待信仰を今に伝えている。

嘉永6年(1853年)造立の「馬頭観音」と庚申塔(年代不詳)。ここにも馬頭観音があったのね。

左は観世音菩薩と分かるが、右は何か……首がもげてしまった地蔵菩薩坐像かもしれない。

『子供さん達へお願い
 此の場所は日蓮聖人と鬼子母神と言うありがたいみ仏様がお祭りしてある所です。此の場所で悪い事やいたづらをするととてもおそろしい事が君達におこります。おまいりしてお願いすると良い事があります。今日からは良い子供になりましょう。根岸』と書かれていた。
「今日からは良い子供になりましょう」って言うのはどうなのかしら? 昨日まで悪い子だったみたい……でも、いたずらはしないでね~(当時の日記のまま)

境内で歩を進めるたびに足元がプツップツッ言うので、なんだろうと思ったらドングリ……一面ドングリだらけだった。子どもの頃は、ひろってゴム鉄砲で飛ばして遊んだものだが、今の子どもはやらないのだろう。

イチョウの紅葉も始まっていたようだ……

今日の「My First JUGEM」は……『新規店……』