無理せんように……

【人の一生は重荷を負うて遠き道をゆくが如し。急ぐべからず。
 不自由を常とおもえば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思ひ出すべし。
 堪忍は無事長久の基、いかりは敵とおもへ。
 勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
 おのれを責めて人をせむるな。
 及ばざるは過ぎたるよりまされり。】
 徳川家康の遺訓を「座右の銘にしようかしら」と昨年末に連れ合いが言った。
 不自由を当たり前と考えれば、不満は生じない。
 心に欲が起きたときには、苦しかった時を思い出すこと。
 長く安らかにいるためには、怒りは敵と思うこと。
 自分の行いを反省し、人の責任を攻めてはいけない。
「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」に代表されるように、徳川家康はまさに忍耐の人だったようだ。私にはとても真似できないが、連れ合いはすでにその域に達しているように思える。
 どこかの境内の蹲踞(つくばい)に「吾唯知足(われただたるをしる)」と彫られていた。「不平不満を持たず、贅沢など考えず、今あるもので十分ということを知りなさい」と言うことだが、お蔭様で私は満ち足りている。それもこれもみな連れ合いのお蔭だが、「吾唯知忍」の境地にいるような連れ合いには我慢し過ぎも毒だと伝えておこう。

自由に旅することをこよなく愛するスナフキンが好きな連れ合いは、こんなのも持っていた。昨日初めて目にしたからパチリ。「こんなの載せないで」と言われるに決まっているが載せちゃうよ。

朝から晩まで義母に付き添って自由のない連れ合いは、以前はスマホカバーのスナフキンと一緒にいた。現在のスマホは、スナフキン・カバーがなかったからタオルハンカチを携えているのかもしれない。
 雨にぬれ立つ おさびし山よ
 我に語れ 君の涙のそのわけを
 雪降り積む おさびし山よ
 我に語れ 君の強さのそのわけを
 夕日に浮かぶ おさびし山よ
 我に語れ 君の笑顔のそのわけを
かつて連れ合いはYouTubeで「おさびし山の歌」を聞きながら、一緒に歌っていた。
今夜あたり、久しぶりに歌うかもしれない。

今日の「My First JUGEM」は……『日光浴……』