足跡(寺社)69・目黒不動の下側……2019.3.2

翌日は雨の予報だったし、天気が良かったから「今日歩こう」と出かけた2019年3月2日のこと……

林試の森公園の満開の河津桜を眺めてから、目黒不動へ足が向いた。

関東最古の不動霊場と云えられるだけあって、目黒不動尊(泰叡山瀧泉寺)の仁王門脇の高い所に不動明王と二童子《左に制多迦童子(せいたかどうじ)・右に矜羯羅童子(こんがらどうじ)》がおられた。(目黒区下目黒3-20-26)

独鈷の滝から左側……2017年2月12日の訪問時は男坂を上って大本堂に向かったが、この日は前回歩かなかった場所を見学した。

奥に「腰立不動(山不動)」と右手前に「本居長世の碑」……

上って手を合わせてきた……
『腰立不動由
 来妙なる力におこされて
 二度世に立 不動尊
 かめの祝の末広く
 朝日ののぼる みごとさで
 東都のつどい 善男女
 すくいとらすぞ 妙なる力』の文言が扁額のように掲げられていた。
 手前の山不動再建紀念碑は昭和2年(1927年)5月……再建されて、かれこれ100年になる。(改修は行われているだろうが)

作曲家・本居長世(もとおりながよ)氏は「七つの子」「青い目の人形」「赤い靴」など童謡音楽の先駆者。
十五夜お月さん」は野口雨情との作品。本居氏は古典の五線譜化に尽力されたそうだが、本曲はAndanteとある。アレグレットとアダージョの中間の速度(テンポ)で、歩く速度と言うが、これがなかなか難しい。人それぞれ歩行速度が異なるのだから。1分間に刻む4分音符の拍数は、アンダンテはメトロノーム記号♪=72前後、アレグレットは♪=108前後、アダージョは♪=58前後とされているが、指揮者や演奏家はこの速度が体に染みついているのだろう。

江戸中期の創建とみられ、勢至菩薩像が安置されている「勢至堂」……

「北向六地蔵尊」……地蔵菩薩の浄土「伽羅陀山(からだせん)」(須弥山(しゅみせん)の周りにある七つの黄金の山の一つ)は南方にあり、南を向いて地蔵菩薩を祈れば直ちに浄土を発し、我々のいる北に向かって救いにきてくださるので地蔵尊は北を向いているのだと。

2019年3月の楽天ブログには「青面金剛かしら」なんて書いていたが、これは三面八臂の「馬頭観音」だ。目黒区内でも十基ほどの馬頭観音にお目にかかったから、今なら一目瞭然。

北一輝先生顕彰碑」……無知な私は全く存じ上げないが、
『この碑は北一輝先生の顕彰碑で大川周明氏の文によるものです。
先生は明治16年佐渡ヶ島に生れた憂国の士で、大正デモクラシーの時代中国に渡 り、国革命を援助し又日本改造論を叫び、国家主義頭目として、特に陸軍の青年将校を刺戟し多くの信奉者を得た。
時適々満州事変前後より先生の思想はファシスト化し、遂に2・26事件を惹起する要因になった。勿論直接行動には参加しなかったが、首謀者として昭和12年銃殺刑に処せられた。然し先生の生涯をさゝえたものは奇くも法華経の信仰であったことは有名である。
毎年8月19日の祥月命日には今も尚全国の有志が追悼法要を厳修している。』と、当山の説明書きがあった。

前不動堂を背にして「甘藷(かんしょ)先生記念碑」……江戸時代のはじめに琉球を経て日本に伝わったサツマイモは、鹿児島県で栽培され「蕃藷(ばんしょ)」とか「甘藷」と呼ばれていたが、元禄以降「甘藷」として国内に広がった。そのサツマイモの普及に努めたのが甘藷先生こと青木昆陽(1698~1769年)なのだ。暴れん坊将軍でも取り上げていた。

私は好んで食べないが、毎年10月28日に催される「甘藷祭り」には、サツマイモ関連の屋台も出ると。

東京都指定有形文化財の「前不動堂」……江戸時代中期の仏堂建築として、良く往時の姿を保っているとのこと。江戸時代、将軍や大名の参拝があると庶民は本堂に近づけなかったため、庶民の便宜を図って建立したとされる。

前不動堂の前でうなだれる「狛犬」……狛犬と書いたが、朝鮮王朝・高麗から伝えられた「高麗犬(こまいぬ)」とは全く違い、愛くるしい和犬の狛犬ということか。首にスパッと切ったような跡がある。震災か戦災で被災して首が胴体から離れてしまったのだろう。人のみならず、狛犬まで傷つける地震も戦争も悲しい。

木造不動明王三尊が安置されている「前不動堂」……拝見したいが難しいのだろう。

なぜか大黒様……よくある姿だが、乗っているのが米俵だとすると不謹慎。農家に立ち寄った水戸光圀(黄門さま)が、置かれていた米俵に腰かけて農民に叱られていたっけ。
 ちなみに、同寺は山手七福神札所で恵比寿神を祀っている。勘違いする人もおいでだろう。

境内に「枝垂れ梅」……この日も空は青かった。

今日の「My First JUGEM」は……『万両の赤い実……』