足跡(寺社)46・光林寺……2019.1.13

歯医者帰りに、ぶらぶらした2019年1月13日のこと……

五の橋から首都高下をくぐると明治通り……正面には光林寺……
勤めていた頃、この辺りの明治通りを汗だくで走っている清原和博氏とすれ違ったことがあった。

明治通りを渡ると住所は南麻布となり、北に登って行く「新坂」がある。新しく開かれた坂であろうが、推定ではあるが開かれたのは明治20年頃らしい。
 真っすぐついて行けば有栖川宮記念公園に出るが、「阿衡坂」「奴坂」「薬園坂」「釣堀坂」「絶江坂」「南部坂」「仙台坂」などなど、名の付いた坂がいくつもあるエリアだ。後にいずれの坂も歩いたが、今はその元気はなさそうだ。

光林寺」(港区南麻布4-11-25)……幾度も幾度も前を通ったが、訪問するのは初めてだった。

山門の手前、駐車場の片隅に「お地蔵様」……

江戸時代のものだと云われる「山門」……扁額にあるように山号は「慈眼山」……

山門をぐぐった正面は「客殿」だろう。

客殿左に本堂がある。
 臨済宗妙心寺派の寺院で、延宝6年(1678年)麻布谷町に創建、元禄7年(1694年)こちらへ移転したそうだ。ちなみに、開基は丸亀藩主京極備中守高豊とのことで、だからだろう、京極家の墓所のようだ。
「座禅で悟りを得る」のが特徴でもある臨済宗は武士に人気があったと聞くが、京極家の他に岩村藩主大給松平家平戸藩主松浦家などの墓所でもある。(私は立ち入らないが)

立派な本堂であり、外装も綺麗で新しく見えるが、江戸時代の建立らしい。
 安政3年(1856年)7月、語学力をかわれてハリスとともに下田に着き、日米修好通商条約締結交渉に活躍したオランダ人ヒュースケンの墓があるらしい。赤羽接遇所に滞在していたプロイセン王国使節のもとを訪れ、初代アメリカ公使宿館となっていた麻布「善福寺」への帰り道、中之橋のたもとで攘夷派の武士らに襲撃され、翌日死亡したヒュースケン氏。1861年1月15日のことで、享年28歳の若さだったと。
 ここで疑問なのは、なぜ善福寺に埋葬されず、光林寺墓所となったのか……突き詰めると時間がかかるから止めておく。

【附けたり】2020年1月21日の写真
 浄土真宗本願寺派寺院の「麻布山善福寺」(港区元麻布1-6-21)境内に建つ石碑。安政6年(1859年)初代アメリカ公使館となってタウンゼント・ハリス公使以下館員を迎えたとされる。

蛇足ながら、樹木希林さんのお葬式が執り行われたのは、ここ光林寺らしい。もともと内田家の菩提寺だと。2018年9月15日……亡くなってもう5年も過ぎたのね。

春には桜が美しいだろう。

南無釈迦牟尼仏……山門で一礼して退散した。

光林寺をでると「きらく亭」……ランチタイムにも営業していた時代、何度もお世話になった。肉質、コスパ、接客など私的には三本の指に入る焼肉屋と思っている。忘れ物を会社に届けてくれた連れ合いにランチをご馳走したことがあった。私は飲まなかったが、ビールも付けてあげたね。もう何年も一緒に外食をしていない。申し訳なく思っている。

今日の「My First JUGEM」は……『山わさび……』