足跡(寺社)174・烏森稲荷神社……2020.4.8

天気は悪くなかったので、なぜか小林幸子邸を眺めに行った後、思い付きで北東に向かった2020年4月8日のこと……

未歩行部分の蛇崩川緑道「蛇崩橋」から下流へ歩き、「蛇崩下橋」を過ぎたあたり。誰ともすれ違わない安全地帯を歩いた。

蝶捕獲……飛び回るし、風で草木は揺れるし、苦労した。紫の花はラベンダーじゃないよな~

暗渠の緑道をと歩き「このあたりのはずだと」川端橋からそれてみたが目的地は見当たらなかった。仕方なく以前訪問した西照寺門前を過ぎて、高台のこんな路に出て、左へ辿っていくと……

なんとなくありそう……西照寺との位置関係だけは頭に残っていた私の感ピューターを自画自賛した。

どうやらいつもの裏参道入社……

石段を下ると幟と鳥居が待っていた。全て当年(令和2年)の初午に奉納された幟だった。「烏森」の地名の起こりは、数百年前からこのあたり・宿山の氏神として祀られてきたこの烏森稲荷神社だと云われている。

裏参道の鳥居をくぐると、さらに低い位置にある境内に通じてた。
 神社が由来とされる「烏森」の地名は、明治22年(1889年)に町村制が施行されたときに字名として誕生したが、目黒区が誕生した昭和7年(1932年)に消えたようだ。上目黒だの下目黒だのというより、宿山だとか烏森を残してくれても良かったのにと思う私。(訪問当時の日記は次が社殿となるのだが、今日は参道口からにリライトしてみた。)

「烏森神社」表参道口(目黒区上目黒3-39-14)……こちらから訪問しなくてはならなかった。景色の良い神社で、社号碑の字体も美しい。

鳥居をくぐると、すぐ右手に「神楽殿」がある。『令和2年の記念行事・本殿正面階段改修工事 及び 東側の整備を行います』と奉納のお願いが目に付いたのだが『一口 壱萬円』……三千円・五千円程度からだったら納めてきたのだが、散歩の時は一万円札は持っていないのでご容赦いただいた。

社殿後方に向かって高くなっていく丘陵地……上りきったら、また目黒川に向かって下っていく。ちなみに、裏口入社の私は写真左隅から下りてきた。

「社殿」……御祭神は蒼稲魂命。
 最初は現在地から500mほど離れた寿福寺の境内にあったが、下馬引沢(現在の世田谷区)の新堀新左衛門と言う人が当地に移したらしい。寿福寺別当寺だったということだ。

奉納のお酒がたくさん並んでいた。

【附けたり】
2019年5月26日に訪問した天台宗寺院「壽福寺」……烏森神社の旧別当寺。

社殿前から……写真の方向・南に蛇崩川をひかえ、東に目黒川の谷に接する諏訪山と呼ばれる丘陵に位置している。

参道から振り返ると左側が社務所なのだが、その向こうで何やら呼んでいた。

ちょうど裏参道を下りてきた場所だが、手前の手水舎に……

この「吐水口」は有名らしい。
『その昔、当地の稲荷講の人たちが新橋の烏森稲荷を参拝した帰りに、白い狐が馬に乗ってついてきたからこの地に稲荷神社を祀った』との伝説があるそうです。だからこの吐水口は狐かもしれない。狐の顔はしげしげと見たことがないのだが、似ているのかしら?

手水舎の左の祠は不明……

見上げると入ってきた裏参道の幟……

裏口入社をして表参道から失礼したのだが、参道口は住宅に挟まれたこんな道の奥にあった。表通りを通ったはずだが気付かなかった愚かな私だった。いつも後悔の多い散歩だが、それも楽しいと思ったら良いのだろう。

帰りは鎌倉街道の一部と言われるこの坂を上り、坂標に記された「刺抜稲荷」を探したが見つけられなかった。そしてまたの日(2022.6.16)に改めて探しに行った暇な私だった。

 今日の「My First JUGEM」は……『レモン……』