足跡(寺社)175・深沢神社……2020.4.14

都立園芸高校のタフトアメリカ大統領から送られた百年物のハナミズキを訪ねてみようと出かけた2020年4月14日のこと……

深沢学園通りは幾度も歩いたが、初めて目に入った。

道路から見たらこんなぐあいで、他人の家としか認識していなかったのだが、石標があるのだからと入ってみたら……

この祠に「阿弥陀三尊画像板碑」が安置されている。世田谷区内に存在する像を碑面に彫った板碑・二基の内の一基で、室町時代のものらしい。
 江戸時代には小児の百日咳の平癒に信仰されていたとのことだが、元来板碑は鎌倉時代から桃山時代にかけて行われた死者供養のための石製の卒塔婆だったらしい。
 残念ながら良く見えなかったが、中尊阿弥陀如来と脇侍の観音菩薩勢至菩薩が描かれているそうだ。高さ71.5㎝・幅40.0㎝・厚さ2.5㎝・緑泥片岩(青石)とのこと。南無阿弥陀仏
 蛇足ながら、もともとは深沢字下山(現深沢3丁目)の阿弥陀塚にあったと言われ、昭和初期頃盗難にあうが、所在が確認されたのちに三田家邸内に移したと。こちらは三田さんのお家なのだろう。

お目当てのハナミズキを求めて都立園芸高校を訪ねてみたが、残念ながら休校中でお目にかかれなかった。外周をぐるっと歩いてみたがそれらしき姿はなかった。
 この正門から本館までのイチョウ並木は大正元年(1912年)頃植えられたものというから、樹齢は100年を超えている。徳川家光公が愛したと伝えられるこの五葉松(ごようまつ)の盆栽も管理されているようだから、機会があったらハナミズキと一緒に拝見したいものだ。

正門前に「兎々呂城跡」とあった。「ととろ」ではなく「とどろ」と読むらしい。世田谷城の吉良氏が支配していた一帯と思っていたが、なんと北条氏に仕えた南条重長の居城だったと。戦国時代には興味がないので、深く追求しない。

ハナミズキを見られなかった無念を晴らすつもりで、見落としていた深澤神社へ……駒沢通りを挟んで、日体大の反対側と記憶していたのですんなり到着できた。

「深澤神社」表参道口(世田谷区深沢5-11-1)……どっしりとした社号碑が印象的だった。

鳥居は朱色でなく、社殿も雰囲気が違った……多く見る「大社造り」ではなく、私にはなじみの薄い「神明造り」……

社殿は昭和42年(1967年)に新築されたと。
 永禄7年(1564年)伊豆の三島神社のご分霊を奉斎したので、昔は三島神社と呼ばれていた。その後、明治42年(1909年)6月に深沢村の各地域に奉祀されていた神明神社・稲荷神社・山際神社・八幡神社(以上深沢村の東地域)と、御嶽神社天祖神社・稲荷神社・三島神社(以上深沢西地域)の8社を三島神社に合祀して社名を深澤神社と改称したとのこと。

御祭神は「天照大神(あまてらすおおみかみ)」「大山都見尊(おおやまづみのかみ)」「日本武尊(やまとたけるのみこと)」「倉稲魂命(うがのみたまのみこと)」「八幡大神(はちまんおおかみ)」
 訪問した際は、コロナのお蔭で授与所と祈祷等の受付は自粛だった。早く終息するように祈ってきたが、コロナ禍は長いこと続いた。昨日今日になって、ようやく朝のワイドショーでもコロナを取り上げていたが、私に言わせれば遅い。再燃してどんどん増える。

社殿から参道……写真の右端が……

新しくモダンに見える「神楽殿」……

道路を背にして「整地碑」……よく読めなかったが「大東京市」を実現するために行われた区画整理の碑だろう。

社務所側・南西から見た境内……

昭和48年(1973年)に奉納された手水舎の水盤は見事だったが、左の大木とのバランスも絶妙で良い景色だ。見損なうところだったが、運よく写真左側の鳥居が目に入った。

社殿右側に……

鳥居をくぐると「深沢弁天社御改修記念碑」……

あれが「深沢弁天社」かしら?……右は「深沢弁天社由緒 御祭神は市杵島姫命」と記された石碑で『永禄年間、伊豆三嶋大社末社で弁財天として名高い厳島神社から勧請したものと伝えられております…(昭和47年10月)』と彫られていた。
 市杵島姫命(いちきしまひめ)は、天照大神 直々に神勅(しんちょく・命令)を授かったとされている。
(写真は載せないが)参道左側には昭和50年7月に建てられた「復興記念碑」もあった。

「深沢弁天社」……弁天様とも称され芸事上達の信仰もあるそうな。三嶋厳島神社北条政子が勧請したとされるが、先の由緒書きによると『彼女の命により文覚上人が江ノ島の聖地に勧請したのも三嶋弁財天』だそうだ。江の島は良く知らないが、江島神社中津宮(なかつみや)のことなのだろう。

弁天社の左側はこんな景色なので、帰ろうと思ったら……

草木の陰に「弁天社参道」とあった。

奥まで行くとこんなの……

曲がって下りると、神池に架かる朱色の弁天橋……

橋の向こうには石を積み上げた洞穴……

洞窟の中には祠があった。奥社・奥宮ということなのだろう。

お賽銭納めてきた。

ふり返って見上げると、ちょうど弁天社の後方に位置していた。赤いのは紅葉ではなく、これから緑になる時期だった。

奥社を上ってきたが、気付いて本当に良かったと胸をなでおろした私だった。

そして、八重咲の桜が残る呑川緑道から帰途についた。

今日の「My First JUGEM」は……『朝顔咲いた……』