足跡(寺社)48・広尾稲荷神社……2019.1.13

歯医者帰りにブラブラした2019年1月13日……

天現寺交差点から外苑西通り広尾駅方面に少し向かうと「割烹久田」の看板……サラリーマン時代に、接待で2回伺った。現在もまだ続いておいでのようだ。
 平日のランチは「1,600円より」だったのに、現在は「1,980円より」で、「おまかせコース(お決まり)」は、12,000円・15,000円・18,000円と、2~3千円値上がりしているようだ。諸物価高騰につき仕方ないのだろう。家賃も高いだろうし……

広尾ガーデンの隅っこ……時期に合わせて置物が代わる。

本当はダメないのだろうが、思いついたので、雪だるまから裏のマンションの駐車場を通らせてもらい裏側に……道をまわってくると大変なので。

「広尾稲荷神社」(港区南麻布4-5-61)……高いマンションのお蔭で、陽当りは良くない。
 鳥居脇の社号碑には「廣尾神社」と彫られているが、その昔は別当寺「千蔵寺」の名をとって「千蔵寺稲荷」と称され、あるいは萩の花が咲き乱れていたことから「ハギナメ稲荷」の別称もあったと。社号が現在の正式名称「廣尾稲荷神社」に改称されたのは明治42年(1909年)のことらしい。※「千蔵寺」は明治期に川崎に移転したと。

とてもコンパクトな境内……慶長年間(1596~1615年)二代将軍徳川秀忠が鷹狩りの折、当地に稲荷を勧請したと。戦後、富士見稲荷の御神体が本殿に合祀されているともあるが、祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)のようだ。
 社殿後部の本殿や幣殿は大正14年(1925年)に再建されたらしいが、現存している拝殿は弘化4年(1847年)に造営されたものらしい。
 蛇足ながら、狛犬はずいぶんスリムだ。

手水舎で浄めてからお賽銭を入れて拝礼してきたが、社殿内を清掃中だったのでしげしげと眺めるのを止めた私。残念なことに、拝殿天井には高橋由一なる人物が描いた「墨龍画(港区指定有形文化財)」が残っているとのこと。覚えていられたら「祥雲寺」訪問時に再訪して確認してみよう。※ 高橋由一は、江戸生まれの日本の洋画家。

社殿左手には庫が並んでいる。神輿が納められているのだろう。

神輿庫の間に、苔むしたお狐さまたち……

小さな稲荷社の祠も置かれていた。

「津田式」と書かれている……手押し(昇進式)ポンプを考案したのは津田喜次郎さんという方らしい。第1次若槻禮次郎内閣の商工大臣・藤沢幾之輔氏から称賛を受け、昭和16年(1941年)に「大臣」マークを社票とすることが認められたそうだ。よく見ると、ヘッド部分にひし形に治まった大臣のロゴがあった。

大きな大きな常夜燈だったが、鳥居と同じく昭和15年(1940年)の建立らしい。
ということで、当日は失礼したのだが……

【附けたり】忘れ物を撮りに再訪した2020年9月30日の写真

南麻布の坂と寺を巡り、最後に天現寺方面から裏道を辿っていくと、右手の広尾稲荷神社社殿後方に赤い庇(ひさし)が見える。

「広尾の庚申塔」……当時は興味がなかったからだろうが、気付かずにほったらかしていたのを改めて拾いに行った私。

3基ともにとても塔身が太く立派な笠塔婆型……左:元禄9年(1696年)・中央:元禄3年(1690年)で、右は年代不詳ながら2基より古いだろうと……一番摩滅が激しかった。

今日の「My First JUGEM」は……『外部漏らし……』