足跡(寺社)49・静嘉堂文庫から再びの岡本八幡……2019.1.24

2018.11.20に歩いた場所だが、忘れ物をしたために再訪した2019年1月24日のこと……

丸子川に沿って下山橋到着……前回は「治大夫橋(じだいゆうはし)」あたりで「身延山関東別院」「瀬田玉川神社」や「慈眼寺」に寄り道したので遠く感じたが、この日はあっと言う間だった。

下山橋を右折して「大蔵通り」を少しだけ進むと……

右側に「瀬田四丁目旧小坂緑地」……左側の「静嘉堂緑地」がメインだったが、ちょっとだけ寄り道。

国分寺崖線の斜面にあるかなり広い緑地……「旧小坂緑地」とあるように、かつて衆議院議員などを歴任した小坂順造氏の別邸だった場所で、昭和12年(1937年)に建てた屋敷が残されているらしい。残念ながら、日本画家・横山大観が暮らしたこともあるというかつて存在した茶室は現存しないと。旧小坂家住宅は興味がなかったので入口付近だけで失礼した。

庚申塔」……玉川4丁目36番(この近く・南方向)に所在した「幽篁堂(ゆうこうどう)」の庭園内にあったものだと。「幽篁堂庭園」は、骨董店を営んでいた方が昭和初期に築造したが、数度にわたり所有者が代わり、平成13年(2001年)7月に庭園は廃止。たくさん所在していた石造物の内、この庚申塔2基は世田谷区に寄贈されたとあった。

大蔵通りを挟んで向き合うように前回立ち入らなかった「静嘉堂文庫正門」がある。

正門を直進すると谷戸川の流れがある。南側を流れる丸子川と2つの川に挟まれている丘陵地にあるのが静嘉堂緑地だ。

架かる橋は「紅葉橋」……

橋を渡ると道は左右に分かれるが、どっちに行けば良いのか不案内だったので他人の進む方へ……あるところから上り坂が続くこの緑地は広大だ。

長い坂道を登りきると、ロータリーを備える「静嘉堂文庫」のモダンな姿が飛び込んできた。なんと心地よい眺めか……

キンモクセイ(保存樹木)」……夏の日に木陰でかき氷を食べたいが、緑地内飲食禁止だろう。

逆光なので映りが悪いが「静嘉堂文庫美術館」……幸か不幸か休館中だった。

「岩﨑家廟」……「廟」は(びょう・みたまや)と読むのだろうか? 難しい漢字は勘弁だが、岩崎家の納骨堂。三菱合資会社の第2代総帥・岩崎彌之助氏が死去した後、明治43年(1910年)に4代目総帥・岩崎小彌太氏が彌之助氏の三回忌に合わせて建設したものという。
 ちなみに、設計はイギリス人建築家ジョサイア・コンドルになるものらしいが、主堂にのせた円形ドームは同氏の実設計によるニコライ堂を彷彿とさせる。ミニチュア版と言ったところか。※ ニコライ堂1884年に着工し、1891年に竣工した。

正門まで引き返さないとダメだろうと思っていたのだが、文庫建物裏側から現れた方がいたので尋ねてみたら「裏口がある」と教えて下さった。通用門のような裏口を出ると「岡本八幡神社」の境内に入れた。社殿右側に前回気付かなかった石造りの境内社があったのでパチリ。浅間大社三峯神社かもしれない。

社殿前で拝礼を済ませてから、撮りそこなった写真があったので前回も下った石段を一目散に下りた。例大祭の際、神輿はこの石段を使って宮入・宮出しするのだろうが、大変だ。

目的は鳥居の後ろにある岡本八幡の名物という燈籠……

ユーミン灯籠のこの一枚を撮り忘れたために再訪した暇な私だった。奉納は平成8年(1996年)11月。今から27年前。あの頃僕は若かった。

また丸子川をたどっても仕方ないのでもう一度石段を上り、社殿脇から細いけもの道みたいなのを上ると……(社殿が下に見える)

ひっそりと「愛宕宮」が佇んでいた。
 ちなみに訪問したことはないが、23区内で自然の地形としては一番高い愛宕山(標高26m)に鎮座する「愛宕神社」は、江戸に幕府を設く徳川家康の命により防火の神様として祀られたらしい。江戸の防火の拠り所となったのだろうか。

頂上は岡本八幡宮北「参道」だった。長い石段は南参道なのだろう。

上記位置から振り返ると景色……起伏にとんでいる。左上は聖ドミニコ学園かもしれない。

今日の「My First JUGEM」は……『確かにニンニク食べた……』