大田区矢口から多摩川七福神の残り3ヶ所を訪問する予定で出かけた2020年1月25日のこと……
大楽寺を後にして、気付けば蒲田駅近くまで来ていた。近くに道塚神社があるように、江戸時代のこの辺り一帯は「道塚村」だった。矢口村と六郷村に分断されて道塚の名がなくなったのは明治のことだろうが、神社以外に小学校の名前には生きている。
「円日山金剛院」「真言宗智山派」……きれいに刻まれていてありがたかった。(大田区新蒲田2-3-6)
いくつのお寺を訪れたことか? 訪れるたびに、いずこの風情も清々しく感じる。訪問した寺院のすべての名こそ記憶してはいないが、風と景色だけは覚えている。
創建年代は不詳だが、慶長年間(1600年前後)に既にあった庵室が始まりのようだ。
「玉川八十八ヶ所霊場第六五番札所」「東海観音三十三ヶ所霊場第十二番霊場」
本堂扁額……奉納した社寺建築を手がける天野工務店の創業は天保5年(1834年)。歴史のある会社は健在のようす。
黒も趣があると感じた。本尊・大日如来坐像は区の文化財らしい。
本堂左わきに、寛永・宝暦・安永・天明etcの時代と、童女・童子の文字が読める。幼くして亡くなった子供たちの供養石仏だろう。
本堂手前左側に祠……後方は墓地
ご尊顔がかすれているが天和3年(1683年)造立の「北向地蔵尊」らしい。確かに堂宇は真北を向いていた。一部が欠損している光背も長い年月を物語っている。
祠の右脇後方に墓地を背負って六地蔵……
「なぜ?」と思ったが、六地蔵の右の草木に隠れて石仏が隠れていた。
手を合わせてわずかなお賽銭だけで失礼する私だが、何処へ訪問しても散策を許して下さる寺社は不思議な場所。来る者を拒まないありがたい場所だ。(一ヵ寺だけ、追い出されたことがあるが)
門の向こうは環八……寺紋なのだろうか、門扉の五三の桐が目に付いた。現在は一般的に使えるらしいが、菊の紋に次いで使用規定が厳しかったようだ。
東急多摩川線の踏切……自動車と歩行者とに分けられていて、広々としている。金蔵院を最後にして蒲田駅から電車に乗りたかったが、もうひと頑張りと思い矢口渡駅方面(写真左)に歩いた。
電車来てよと思っていたら……
来ました多摩川線……
でもって、個人宅のであろうとは思ったが……
折角なので、お稲荷さんに二礼二拍手一礼して記念撮影。
後ろ姿にサヨナラして次の寺社に向かった。
今日の「My First JUGEM」は……『梅の収穫2024……』