私の開花宣言

歩かない日はさみしい、
飲まない日はさみしい、
作らない日はさみしい、
ひとりでゐることはさみしいけれど、
ひとりで歩き、
ひとりで飲み、
ひとりで作ってゐることがさみしくない。
種田山頭火
 ひとりでいることはやっぱり寂しい。歩き、飲み、そして句を作ることで自身が生きている証としたのだろう。
 山頭火は、芭蕉良寛の足跡を巡る7か月半におよぶ東北の旅を終えて悟る。芭蕉芭蕉であり良寛良寛なのだから、芭蕉にはなりきれないし、良寛の真似をしたところで始まらない。私は私であり山頭火山頭火であるのだから、私は山頭火になりきればよろしい。自分を自分として活かす、それが私の道であると……
 山頭火が「歩かない日はさみしい……」と呟いたのは昭和5年(1930年)で、東北を歩いたのは昭和11年(1936年)と言われる。今度、年代を意識してどんな変化があったのか読んでみよう。
 なぜ山頭火になったか自分でもよく分からないが、前置きはさておき、連れ合いが田舎に行っているからさみしい私。代わりに朝からゴミを出して今日も庭木の観察……

椿はあっという間に落ちていく……

白梅もほとんど散ってしまった。

残りわずかな花びら……今日も青空だ(7時30分)

 方や、十分に食せるサクランボの実がなる桜の木に花が咲いた。上方にもいくつも開いていた。ソメイヨシノではないが、今日は私の開花宣言
 ちなみに、沖縄・奄美地方や北海道北東部の標準木はソメイヨシノではないらしい。ソメイヨシノは咲かないとのことだが寂しくはない。ヒカンザクラやエゾヤマザクラなどなど、奇麗に舞い散る桜は山ほどあるものね~

昨年の開花は早かった。(2022年2月28日の写真)理由の心当たりはあるが書かない。

茱萸(さんしゅゆ)は長持ちしそうだ。

背の低い水仙が一輪だったのに、増えていた。弟の方が背が高い。兄は早産だったのかしら?なんて、つまらないことを想う私だった。

今日の「My First JUGEM」は……『不思議な侘助……』