足跡(寺社)380・大信寺(2021.11.2)

港区三田に多くの寺院があることを発見したので、歯医者さんの帰りにブラブラした2021年11月2日のこと……

白金高輪駅の麻布通りを渡る歩道橋の上から……東京タワーが見える北方向

北東へ向かう桜田通りをあるき、一つ目の信号を右折すると「魚籃坂下」……坂の中腹に魚籃観音を安置した寺があるために名づけられたと。観音様にはお逢い出来なかったが魚籃寺には当日お寄りした。

坂下に浄土宗寺院「大信寺」(港区三田4-7-20)
「石村近江墓」を案内する区教委のプレートがあり、すぐ左脇に「九州豊前に育ち後盲となり僧官を得て石村検校近江源三と称し泉州堺に又京都に住し三味線としての改造及び三味線本手本組曲を捜索した人…」と初祖石村近江について書かれた石碑があった。

史跡碑……「昭和7年(1932年)3月・東京市」とあるのは、東京市が史跡と認定したのか? あるいは石碑自体も作ってくれたのか?

三弦は十三世紀に中国におこり、十四世紀末福建省民によって琉球に伝わり、十六世紀中頃貿易船によって堺にやってくる。そして、琵琶法師によって苦辛研究の末、桃山時代の初めに今日見る日本の三味線が完成したとのこと。

正式名称は「宝島山峯樹院大信寺」……「慶長16年(1611年)に凉公上人が江戸幕府より南八丁堀に寺領を賜り、宝島山峯樹院大信寺を創建したのが始まりです。」(同寺HPより)
 今年は早いらしいから、もうすぐ桜が咲くだろう。
 蛇足ながら、区教委の案内板には「石村近江の墓は本堂裏手の墓地にあり…」とあったが、現在はこの写真右手だった。

「寛永12年(1635年)に江戸城大拡張に伴い、幕命により現在の芝三田(東京都港区)に移転をしました。その後、明暦の大火(振袖火事)・弘化の大火(青山火事)と二度にわたり全焼をしましたが、その都度復興をして現在に至ります。現在は「史蹟・三味せん寺」としても有名で、音楽ゆかりの寺院として愛されています。」(同寺HPより)
「光棋殿」の扁額がかけられた本堂の天井は、昭和34年(1959年)に池田真亭画伯がお描きになった四季の花により極楽浄土の世界が具現されているとのこと。

南無阿弥陀仏……やはりご本尊は阿弥陀如来でしょうか?

「史跡 江戸に於ける三味線製作の始祖・石村近江翁の墓所」となっていたが、同寺HPによれば石村近江のお墓は墳墓とのことなので本堂裏に眠っておいでなのでしょう。

「三味線宗祖 石村近江顕彰碑」昭和34年(1959年)建立
 江戸三味線製作の始祖と仰がれた石村源左衛門が没したのは、同寺が八丁堀からこちらへ移転した翌年、寛永13(1636年)年3月2日でした。400年近く前のことですが、八丁堀時代からのご縁を大切にしてこちらに永眠されたのでしょう。

刻まれているのは御親族の戒名でしょうか……二代石村近江が寛永年間に京都より江戸に移って以降、石村近江の名を継ぎ、明治の世まで十一代に至ったそうです。三味線を用いる邦楽、浄瑠璃、地唄、長唄などの発達発展に尽くされたのですね。

地蔵尊かと思ったのだが、脇に「秋葉三尺坊大権現」とあったので調べてみたら、静岡県浜松市天竜区の「秋葉山秋葉寺」に行きついた。
 同時HPによれば「三尺坊は、秋葉寺の本尊聖観音菩薩とともに祀られ、遠江天狗の総帥であるともいわれる神仏習合の神。信濃の戸隠村に生まれ、天応2年(782年)4歳の時には既に越後蔵王権現に修行に出かけた修験者であるという。10歳の時、いったん戸隠の父親の元に帰り、26歳の時には大阿闍梨となって蔵王権現堂の第一の坊「三尺坊」を務めさらなる修行を積んだ。27歳の時、一切衆生を願って十二誓願を発し不動三昧の秘法を修した。」と……
 今一つ、同じ静岡県袋井市にある「萬松山可睡齋」にもおられた。
 同寺は、応永8年(1401年)に如仲天誾(じょちゅうてんぎん)禅師が開山した600年の歴史を刻む名刹で、徳川家康との故事により「可睡斎(かすいさい)」と称され、秋葉の火伏として信仰を集める秋葉総本殿三尺坊大権現を祀る禅道場とのこと。可睡斎の由来は『徳川家康公が幼少の頃、仙隣等膳和尚に教育を受けたことでご縁ができ、その後、浜松城主となられた家康公が和尚を城に招きました。当時を懐かしむ話の途中に、居眠りをはじめた和尚を見て家康公はにっこり微笑み「和尚、睡る可し(ねむるべし)」と申されたことから、いつしかお寺の名前までが「可睡」と呼ばれるようになりました。』(同寺HPより)
 ちなみに、秋葉寺から同寺に三尺坊大権現様の御真躰が遷座されたのは明治6年(1873年)で、有栖川宮幟仁親王により「秋葉総本殿」の扁額を賜ると、火防霊場として全国津々浦々に名声が響き渡ったとのこと。

寛政3年(1791年)の手水鉢……秋葉観音講中の文字もありました。

顕彰碑の前方にならぶ石仏たち……

戒名が彫られているので墓碑でしょう。

「元禄」「正徳」「文政」……何百年も時の流れを見つめて来られたのに良きお姿でした。南無阿弥陀仏

今日の「My First JUGEM」は……『いまだに』