足跡(寺社)277・清徳寺……2021.1.31

南品川、北品川あたりを歩いた2021年1月31日のこと……

清光院をあとにして、要津橋(ようじんばし)から目黒川を下流へ……

東海橋を北にちょこっと渡り……

横切る山手通りを越えるのに信号待ち。右は新馬場駅で、京急と並行して走るのは第一京浜だが、この交差点ではよく警察官の姿をお見かけする。いつもご苦労様ですと声をかけるが、一度だけポケットティッシュをもらったことがある。交通安全週間だったか。

第一京浜から脇に入ると、正面に……

「清徳寺(せいとくじ)」山門(品川区北品川3-7-22)……臨済宗建長寺派の寺院。旧東海寺の域内のはずだが、大徳寺派ではなかった。

元徳2年(1330年)真照大定禅師の創建で、天正19年(1591年)に徳川家康より朱印10石を賜った御朱印寺。現在も歴代将軍の朱印状を蔵しているそうだ。この様子からは「山門だけなの?」と思えるが……

一礼して一歩踏み込み、右を向くと……

庫裏の前を通るので躊躇したが、品川区教委の掲示板が目に入ったのでおじゃました。
『清徳寺文書 品川区指定有形文化財
 清徳寺文書は、徳川歴代将軍の朱印状正文とその関係のものが18点、清徳寺の再興に関するものが1点、版木が2点、その他の文書などが7点と、これらを納めた朱印箱2点を含む30点である。
 東京都区部ではめずらしい徳川歴代将軍の朱印状、及び15世玉泉(ぎょくせん)による朱印状書き替えの折の記録が多数残されている。また、本寺が鎌倉時代に創建されたことを誌した「武蔵野国清徳寺再興記」など、いずれも史料的価値の高いものである。平成27年8月31日』

寛永14年(1637年)東海寺建立の時、周囲の多くの寺院は立ち退きを命じられ移動させられたが、こちらは沢庵和尚の宿寺となっていたのでそのまま残ったそうだ。派は違うが臨済宗だから残してもらえたのかもしれない。

本堂扁額は「福聚山」……「ふくじゅさん」と読むのだろう。

本堂右前に『無外坊胡麿仁者 蕉禅創業之地』……「無外坊」を俳号とする明治8年(1875年)生まれの俳人・柳下胡麿。「蕉禅派」という流派を起こして蕉禅新聞を発行したらしいが、ここ清徳寺で創業した記念碑なのだろう。説明書きがないと困る。

本堂前……左の茂みに……

良く分からないが合掌……地蔵尊ではなく庚申塔かもしれない。

小祠は……

稲荷社と推察した。

数奇屋デザインの庭門からわびさびを感じたが、「侘び」「寂び」は禅の影響で生まれた美意識だった。当時も今も禅には無縁のわたしだが。
 ちなみに、臨済宗建長寺派大本山建長寺は巨福山(こふくさん)建長興国禅寺といい、鎌倉五山建長寺円覚寺寿福寺浄智寺浄妙寺)の第一位。鎌倉幕府五代執権北条時頼が建長5年(1253年)に建立したわが国最初の禅寺とのこと。蛇足ながら、建長寺発祥の料理「建長汁(けんちょうじる)」がなまって、今では「けんちん汁」になっている。大根、人参、ごぼうなどの野菜と豆腐を炒めて煮込んだ汁物は、修行僧のための精進料理だったが、我が家は連れ合いが豚肉を入れてくれる。

庫裏の前でも一礼して引き返した。

そして万両……

今日の「My First JUGEM」は……『レモンの実が生りそうだ』