足跡(寺社)275・東海寺……2021.1.31

距離は分からないが、北品川あたりまでずいぶんと歩いた2021年1月31日のこと……

春雨寺を後にして、山手通りから目黒川方向へ出るために子供の森公園(北品川3丁目)を横切った。

目黒川に出る手前……右方向(南)に要津橋(ようじんばし)が見えた。目黒川に沿って天王洲アイルを目指した時は、橋の向こう側を歩いた。

「萬松山東海寺」山門(品川区北品川3-11-9)……門柱の脇に東海寺大山墓地への地図がはってあった。島倉千代子さんのお墓を探しに、こちらを訪問される方が多いのかもしれない。ちなみに、かつての山門はここではないはず。

東海寺梵鐘・品川区指定有形文化財
「梵鐘は元禄5年(1692年)住持天倫宗忽(じゅうじてんりんそうこつ)が撰文(せんぶん)し、名工といわれた幕府の御用鋳物師である椎名伊予守良寛によって造られたものである。総高198㎝、口径106㎝、撞座(つきざ)は竜頭(りゅうず)の側面方向に2か所、乳は乳の間ごとに縦横5箇ずつ配列されている。平成12年(2000年)3月31日 品川区教育委員会」との説明書きがあったが、五代将軍綱吉の母、桂昌院が将軍家光の冥福を祈るために寄進したものらしい。
コロナウイルスのため3時に閉めます「しばらくしんぼうして下さい」』と大きく貼りだされていた。勿論、当時はどこの寺社を訪ねても世界平和とコロナ終息を願っていた。

禅寺らしくもあり見事な木造建築だった。
寛永15年(1638年)に三代将軍徳川家光が、名僧沢庵のために創建した臨済宗大徳寺派のお寺です。かつては15万7千平方メートル余りの広大な寺域を有し、享保元年には塔頭が17院に及び、歴代将軍が鷹狩の折など頻繁に訪れたと伝わります。現在の東海寺は、塔頭のひとつだった玄性院(元、臨川院)がその名を引き継いだものです。(しながわ観光協会HPより)』
 朱印領500石を有す広大な大禅林だったとされるが、157,000㎡は、東京ドームの約3.36倍にあたる。
 しながわ観光協会は『……昭和5年(1930年)に建設された仏殿「世尊殿」には、本尊の釈迦三尊像をはじめ閻魔王十六羅漢などの仏像が安置されています。』と紹介しているが、こちらが世尊殿なのだろう。無防備に思えるが泥棒対策は大丈夫か少々心配だ。

燈籠だろうか、くねる曲線が良い。
 臨済宗大徳寺派の江戸触頭の一つだったが、廃仏毀釈のあおりで寺領を召し上げられたようだ(間違っていたらごめんなさい)。明治維新を迎え、さまざまなことが変わっただろう。
 ※ 触頭(ふれがしら)=江戸時代、寺社奉行の命令を配下の寺院に伝達し、また、配下の寺院からの訴願を奉行に伝えることを役とした寺。
「令和維新が到来するか? 捨てる刀も書も持っていない私はどうすれば良いのか??」と当時の日記にあった。

扁額は古学殿と読むのかしら。

鬼瓦……こんな写真まで撮っていた、まだまだ元気だった頃。

寺領を誇った時代の境界石なのだろうか。

本堂前……右の幹はイチョウだろうがとても立派だった。

葉が出たら見事だろう。

右は客殿だろうか。枝垂れ桜らしき木の後方に……

小堂があった。

残念ながら扁額には文字がない。消えたのか、はたまた書いていないのか。

小堂内には石仏……箒(ほうき)やスコップが置かれているのは倉庫代わりにもされているようす。

どなたか分からないが、古そうな事だけは分かります。

日向ぼっこ……

境内北側に山門……かつてはこの先の東海寺本坊に向けて、長松院・桂昌院・妙解院・雲了院や春雨庵(現、春雨寺)など塔頭寺院が並んでいたと思われる。

要津橋から目黒川下流を眺めると、左に東海寺。京浜運河までは1㎞強の位置だ。

目黒川を越えて南から眺める東海寺……ビルが建っているが、広大な大禅林だった姿を想像するとワクワクする私だった。

今日の「My First JUGEM」は……『お蔭様で梯子した昨夕』