レモン哀歌

智恵子抄 レモン哀歌 (高村 光太郎)

そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉(のど)に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう
昭和一四・二

大正3年(1914年)から東京のアトリエで同棲……今でいうところの夫婦別姓であり、智恵子は一年のうち数か月を実家の福島で過ごす、当時としては稀に見る結婚生活。実家没落後、自身の油絵絵画に絶望して統合失調症となり、南品川のゼームス坂病院に入院。昭和13年(1938年)10月5日、けっして長くはない人生に幕を下ろす。
「あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ」……最後の力を振り絞り、光太郎が持参したレモンを噛んだ智恵子。レモンの香気が智恵子の意識を正常に戻し、郷土、彼女の芸術、そして光太郎への愛を呼び起こしたのだろう。最愛の人が亡くなる瞬間が今もここに生きている。

本日8時50分……一粒なったレモンの実(本日8時50分) 経験上、ちゃんとした果実になるには数か月かかる。10月5日まで落ちずに育ってくれるだろうか。
積み上げた本の上に檸檬(れもん)を一つ置き去りにして店を出る梶井基次郎の短編小説『檸檬』はまだ読んでいない。舞台となった連れ合いの知っている「丸善京都本店」は今どうなっているのかしら……

昔々、父にもらった高村光太郎の英訳本を丸暗記したことがある。当然 今は覚えていないが、その本も失ってしまった。ごめんなさい……

今日の「My First JUGEM」は……『道すがら……』