足跡(寺社)241・福昌寺の阿弥陀石棺仏……2020.9.22

渋谷から歩いてきた2020年9月22日の散歩……つい昨日のことのように思える。

室泉寺を下って明治通りに出ると……

門前は幾度も車で通過したが、お寺だとは思ってもみなかった。太いコンクリートの立っているのが山門で、手前が駐車場入り口。半開きのシャッターから覗くと……

すぐ左に……右奥にあるのは「花供養塔」
『花は天地自然の美しき心を姿色香にあらわし、人の世の喜怒哀楽につけてその人の心を和らげ慰め励まし無量の福楽を与え来れるものなり。その花を己が商とすることを天職と思い、花を愛し、花と天地自然に感謝しつゝ生花を商う願心の施主横山サダ及び同業の有志相寄りて人々の心を慰め散り行ける多くの花の命に感謝し慰霊せんものと、渋谷山福昌寺の聖域をトし、茲に供養塔を建立し、併せて施主家の家門興隆同業有志各家の繁栄、業界の発展を祈念するものなり。昭和丙辰51年4月吉日 花供養塔建立教会』

手前左は「阿弥陀石棺仏」……『石棺仏とは、古墳時代の石棺を転用して、そこに仏像を彫り込んで路傍に立て庶民が礼拝の対象としたものです。本石棺仏は、古墳時代中後期頃の家型石棺の蓋を利用しており、その内側は長方形に彫り窪められています。中心部に表されるのは蓮台上に立つ阿弥陀如来像で、船形光背を負い、来迎印を結ぶ姿が浮き彫りにされています。現存する阿弥陀石棺仏の多くが座像であり、このような立像は稀な例になります。この石棺仏の材質は、兵庫県高砂市加西市付近を産地とする播磨竜山石と考えられます。石棺物が彫られた時期は、その像容や年紀を持つほかの作例から見て、南北朝時代頃と推定されます。現状は石棺蓋の上端部に物が奉置されるような窪みが穿たれていますが、阿弥陀如来像や蓮華座に破損や摩滅等がほとんど見られず、保存状態は比較的良好です。この阿弥陀石棺仏は、和歌山県那珂郡から運ばれて来たものと伝えられ、昭和25年頃に造園業を営む東光園が入手して当寺に寄進したもので、東京では本例のみという珍しいものです。渋谷区教育委員会』とのこと。

曹洞宗寺院「福昌寺」山門(渋谷区東3-10-13)……僧桂岩嫩(慶長2年・1597年入寂)によって当地に開山されたとのことだが、詳細は不詳。本堂へは建物内の石段を上がっていくと推察したので、こちらで合掌して失礼した。南無釈迦牟尼仏……

山門扁額は「渋谷山」とあった。御本尊は阿弥陀如来のようだ。
 曹洞宗の源はお釈迦様だから、御本尊は釈迦牟尼仏・釈迦如来かと思いきや『阿弥陀仏は十方諸仏の本師本仏』であり、地球では最高位のお釈迦様も大宇宙からみたら阿弥陀仏が上。一切の諸仏が師と仰ぐ阿弥陀様を御本尊としたのだろう。
 扁額左側に見える相輪(そうりん)は閻魔堂かもしれない。閻魔寺とも称された事があるらしいから。

近代的で大きな建物だったので、明治通りの反対側からでなければ全景は撮れないだろう。Googleの航空写真では、後方の広い広い墓地は室泉寺に隣接するほど伸びていた。

敷居が高い……塀も高かった。

明治通りと駒沢通りとの「渋谷橋」交差点……左端に細い路地があるから五差路だ。この後、その路地へ進んだ。

今日の「My First JUGEM」は……『結局 代参……』