大小いくつもの稲荷社をめぐった2021年10月29日……羽田地区にたどり着くまでに以前お寄りした数ヶ寺の門前を通ったが、既訪問寺院への挨拶はすべてパスさせてもらった。
玉川弁財天から多摩川沿いの堤防道をちょっと歩くと、見落としてしまいそうな鳥居(写真左隅)が目に入る。
こんな所にお稲荷さんがあるとは……一瞬躊躇したが、折角なのでお詣りさせていただくのに下りた。
鳥居扁額に「福守稲荷」とある以外、残念ながら創建年代など詳細は不明。個人あるいは近隣住民の方々が勧請したのでしょう。
祭神は宇迦之御魂命(うかのみたまのかみ)でしょうか?……二礼二拍手一礼
羽田6丁目11-8……しっかり住所表示プレートが付いていた。
道路の向こうは多摩川……どうぞ堤防が崩れませんように。
福守稲荷前の堤防道路から東を見ると、堤防内側に小屋が見えた。羽田空港上空には飛行機が2機写っていたが、ホコリみたいに小さいしボケているから分からないだろう。
「五十間鼻無縁仏堂」……右から正面に向かう「多摩川」と、左からの「海老取川」が合流する地点。洪水時の急流による浸食から岸辺を守るため、水中に長さ五十間(約90m~100m)に渡って石を敷き詰めた「五十間鼻」。その上に設けられたのが「五十間鼻無縁仏堂」だ。(住所はないだろうが、大田区羽田6丁目1の川辺)ちなみに、干潮時には顔を出す石積みの上を歩くことができるらしいが、この時は満潮だったみたいで川底に沈んでいた。
ヘアピンとまではいかないが、結構なカーブの先端にあるので黄色い看板が注意喚起している。車も怖いが、この石段で堤防を越えるのも怖かった。風にあおられないよう注意して乗り越えましたっけ。今はやらない、やれない。
水難事故者を供養する「無縁仏堂」……関東大震災や第二次世界大戦の東京大空襲の折に漂着された多くの水難者を供養しています。元は、多摩川河口寄りの川の中に、角塔婆が一本立っているだけだったのを、昭和53年(1978年)の護岸工事で現在地に移設されたとのこと。
毎年、初日の出と共に、日蓮宗・長照寺のご住職と信者の方々が水難者への供養を行っているとのこと。南無妙法蓮華経
平和地蔵尊……マスク着用。現在は外してもらっているだろう。
無縁仏堂への橋の上から多摩川上流の眺め。右に第1水門と大師橋。逆光に近いから美しくない。
折角だから堤防下までおりて、無縁仏堂の足元をパチリ。寄せては返すきれいな水に見とれていたらスマホを落としそうになった。
海の色だが海ではない。右の多摩川と左の海老取川が合流する場所。
「多摩川スカイブリッジ」と呼ばれるすらりとした橋の開通は令和4年(2022年)3月12日だったと今日知った。川崎市殿町と羽田空港をつなぐ新しい橋だが、この写真を撮った時はまだ完成前と言うことになる。右に飛行機を捕獲したが、拡大すると右の橋脚脇から臨めるのは袖ケ浦あたりだろう。
飛行場は津波が来ても大丈夫なのかしら……心配しても仕方ないけど。
海老取川に架かる弁天橋と旧穴守稲荷神社の大鳥居が見える。拡大すると鳥居後方に旅客機の尾翼。
「海老取川」に架かる「弁天橋」を渡ると羽田空港。昭和6年(1931年)に「東京飛行場」として開港したのだが、昭和20年(1945年)終戦直後に占領軍によって接収された。
「旧穴守稲荷神社大鳥居」
昭和20年(1945年)、占領軍の強制撤去によってすべての建物が取り壊されたが、この大鳥居だけは残った。昭和27年(1952年)7月に東京国際空港として再出発した後も、強制撤去された元住民の心のふるさととして旅客ターミナルビル前面の駐車場の片隅で風雪に耐えてきた。その後の空港沖合展開事業によって、平成11年(1999年)2月、現在の場所に移設されたとのこと。羽田空港もどんどん大きくなった。
鳥居に掲げられている「平和」の扁額は修理中で取り外されていた。2日後に行けば設置されていたらしい。祈っても世界平和は遠い。
ちなみに、1800年初頭に羽田地区の新田開発の先頭に立った「鈴木弥五右衛門」さんの碑も建っていた。
今日の「My First JUGEM」は……『噛むということ』