足跡(寺社)253・善福寺……2020.10.21

品川区大井の「光福寺」を訪問した際、境内にあった立派なイチョウは了海上人が麻布の「善福寺」から一枝を譲り受けて植えた兄弟イチョウだと知り、元麻布善福寺を目的に出かけた2020年10月21日のこと。どこへでも歩いて行かれた頃が懐かしい。

参道口から両側に浄土真宗本願寺派の山内寺院が並ぶ。しかしフォレストタワーは大きかった。

お住まいの方々には申し訳ないが、タワーは絵的に邪魔になる。(港区元麻布1-6-21)

善福寺「勅使門」……文永の役(1274年)で亀山天皇の勅使寺となったとき以来の命名とされていた。昭和20年(1945年)の戦災で消失し、再建は昭和55年とのこと。長い年月を要した。二度と戦争を起こしませんように。
 蛇足ながら、亀山天皇から勅願寺とされた善福寺は『安土桃山時代(1568~1600年)の浄土真宗本願寺勢力と織田信長の戦い(石山本願寺織田信長が戦火を交えた一向一揆/石山合戦)で、当寺は大阪石山本願寺に籠城する僧に援軍を送りました。乱後、豊臣秀吉は関東を平定すると、天正18年(1590年)、当寺に寺領保護を誓約しました。』とも同寺HPよりにあった。麒麟がくるの時代か。
 ※ 「勅願寺(ちょくがんじ)」=天皇上皇の発願いによって国家鎮護、皇室繁栄などを祈願して創建された寺のことで、勅願寺となれば寺領が得られたと。

一礼して、いつものショット……

平安時代の天長元年(824年)、唐に渡って真言を極めて帰国した弘法大師真言宗を関東一円に広めるため、高野山に模して開山したと。都内では金竜山浅草寺につぐ最古の寺院らしい。

「麻布山善福寺本堂」……扁額の「麻布山」が光っていた。
 善福寺は弘法大師が開いた真言宗寺院だったが、鎌倉時代(1260年代と勝手に推定)に同寺了海上人が、流されていた越後から訪れた親鸞聖人に惚れ込んで浄土真宗に改宗した。弘法大師贔屓(ひいき)の私は少し残念だが、宗教も自由であり信じる者は救われる。
 ちなみに、了海上人は品川区大井の天台宗寺院・神宮寺に生まれる。当然跡取りなのだろうが、本当に親鸞聖人が好きだったようで、文永2年(1265年)に浄土真宗に改宗し「光福寺」と改称した。

キャスターが付いているのは意外だったが、重そうだから不思議ではないだろう。

正面幅約28mに対して、奥行きは約34mと奥深で立派な本堂だが、歴史がスゴイ。
 当初は東本願寺八尾別院「大信寺」の本堂だったが、天明の大火(天明8年・1788年)によって東本願寺が焼失すると、同年から寛政10年(1798年)まで東本願寺へ移され御影堂として役を勤める。翌年、八尾別院に再建された。何故かは不明だが、そんな由緒ある建物を移築し、昭和36年(1961年)にここ善福寺で組み上げた。大信寺は慶長年間(1596~1615年)の創建で、移築された本堂は明和4年(1767年)に再建されたものだが、再建の際には柱など創建当初の建築部材が使われていると。今日もその柱などはここに生きているということだ。

本堂の右は寺務所のようだ。扁額は「亀子臺」のように見えたが、同寺「麻布山」の以前の山号は「亀子(きし)山」と号したようだから名残かもしれない。

その隣には麻布山会館……

みつけてしまった喫煙所……とってもありがたかった。

本堂、寺務所、麻布山会館の前に立派なイチョウの木があり……

最初のアメリカ公使宿館跡(東京都指定旧跡)の石碑がある。安政6年(1859年)、初代アメリカ公使館となり、タウンゼント・ハリス公使以下館員を迎えたと。せっかく日米友好を深めたのに……

足元に……『此の碑は、日米修好通商百年にあたり、同記念行事運営会が復元したものである。昭和35年5月12日』と彫られている。

本堂の左、墓地側に鐘楼があって……

墓地入り口正面に「親鸞聖人像」……逆光だったからご尊顔は伺えない。

「善福寺の逆さイチョウ」……貞永元年(1232年)親鸞聖人が善福寺を訪れた記念にと、持っていた杖を地にさしたところ枝葉が繁茂したと伝えられる。「樹齢750年以上で都内最古の古木であり、国指定の天然記念物」と説明書きにあったが、ぼちぼち800年以上にはなる。
 左の石碑には『善福寺ノ公孫樹』とあるが、銀杏を「公孫樹」とも書く。植樹しても、孫の代になってやっと実が食べられるようだ。

幹周り10.4mの雄株。根がせり上がって枝先が下にのびているから「逆さイチョウ」と呼ぶそうな。枝分けをして育てられた大井光福寺のイチョウ同様に「乳根(ちちこん)」がある。

昭和20年(1945年)の東京大空襲は本堂が全焼するほどだったらしいが、これはその時の被害だろうか? それでも今も健在でいる。親鸞聖人のお力だろう。

墓地入り口を入ってすぐ右に「越路吹雪の碑」……お墓があるわけではなさそう。
 台座全面の黒御影石のプレートには愛の賛歌が刻まれていて、越路さんと岩谷時子さんらしきお顔もあった。個人的には愛の賛歌はエディット・ピアフの方が好きだが、私の父は越路さんが好きだった。通夜の晩には彼女のCDを流していたと記憶している。

秋には、鐘楼を彩るモミジも奇麗だ。

開山堂手前のモミジも良い。緑の時も紅い時も。

残念ながら読めなかった。

「開山堂」……はじめは真言宗蔵王権現として開かれ、古く麻布郷の鎮守だったと。 了海上人の父(大井光福寺住職)が子授け祈願したのが蔵王権現だった。中興開山の了海上人像や豊臣秀吉の朱印状なども収蔵されていると。
 蛇足ながら、後方の元麻布ヒルズもかつては善福寺の所有地だったらしい。(間違っていたらごめんなさい)

開山堂から見る親鸞聖人像と逆さイチョウ……

【附けたり】2021年11月30日の写真
どうしても見たくて出かけた。新緑も良いが、イチョウの黄色と、モミジの紅が良い。

後ろ姿のしぐれて行くか……

本堂前境内のイチョウも大きいので、遠くからでなければ全景は収まらない。

再び本堂にご挨拶をして参道を引き返す。

勅使門(中門)……

参道の柳も生き生きとしている。弘法大師が鹿島の神に祈願をこめ、手にしていた錫杖を地面に突き立てたところ、たちまち湧水が噴出したと伝えられる「柳の井戸」の場所だが、親鸞聖人のイチョウ弘法大師の柳を楽しませてもらった善福寺だった。

今日の「My First JUGEM」は……『円融寺の梅見……』