仏に願う

昨日の午前中、久しぶりに連れ合いと一緒にお墓参りに行った。2日に出向いた連れ合いが長時間かけて草むしりをしてくれていたので昨日はさほどでもなかったが、墓石の拭き掃除をしてくれている間に私は小さな雑草を少しだけむしって線香を供えた。

持って行った花の丈を合わせて鋏で切り、供えてくれるのも連れ合い。入れる前には、花入れを外して洗い場に持って行き、中も綺麗にして戻って来るのも連れ合い。小1時間かけて隅々まで丁寧に掃除をしてくれたが、私は横に座って見ているのに飽き、さして広くない共同墓地で、古そうな石碑を見て回った私とは大違いで、本当にお疲れさまでした。そして申し訳ない。

さて、花入れの間にある「この窪みは何なんだろう」と連れ合いに聞いてみると「ご先祖様が飲まれるのでしょう」と教えてくれた。
 窪みは「水鉢(みずばち)」と呼ぶようだが、仏教では、先祖供養の際に「五供(ごく)」と呼ばれる五つのお供え物が基本とされていると。「香」「花」「灯明」「浄水」「飲食(おんじき)」の五つで、浄水を供える場所が水鉢ということだ。
 我が家の仏壇にはお茶や珈琲を供しているが、「浄水」と言っても故人の喉の渇きを潤すのだから墓所では水で良い。故人の魂を慰めるのみならず、仏様の清らかな心に私たちも洗われたいとの願いを込めて供えるものと言われているようだが、連れ合いは綺麗に拭いていた。私は只々、「(駄々をこねる)お袋を頼むよ」「なんとかして」と仏たちに懇願してきた。
 彼岸入りの今日、連れ合いは朝から団子を作ってピラミッドのように積み上げ仏壇に供えてくれた。置き方もあるようで、平らな面を仏壇に向け、三角のとがった面をお参りする方に向けてあった。私はまったく知識がないが、下に敷かれた懐紙(かいし)も作法通りなのだろう。懐紙を折っている時に「鶴でも折るの」と聞いてしまった自分が恥ずかしい。長年、見守りながら義母の傍らで作業をしてきたので、連れ合いの作業は目にしてこなかったから仕方ないが。
 昨日の墓前でも、今朝の仏壇でも、私同様に連れ合いは義母の心の安寧を願ってくれたことだろう。その願いが通じたのか、今のところ今日はホームからの電話はない。15,17,19日と午前9時半ごろ連絡が入った。明日も事なきよう願うばかりだ。

今日の「My First JUGEM」は……『ニラに蜂』