蒲田駅の西から北西をまわった2021年4月19日のこと……
「御園神社」から北上するとこんな路。「プロムナード蓮沼通り」とあるから最寄り駅は東急池上線・蓮沼駅だった。駅などまったく意識せずに歩いているから、独り反省会で地図を見て理解した。どうやら、この日は蒲田と言うより、蓮沼駅が最寄り駅と言っても過言ではない寺社を訪問したようだ。
玉垣ありました。
手前に「蓮沼熊野神社」が鎮座し、隣接して奥に「蓮花寺」
正面奥の社殿へ真っすぐに向かう参道……明神型の石造鳥居は昭和9年(1934年)建之で、石燈籠は昭和15年(1940年)とあった。
折れてしまったのを修復してあるので大切な石碑なのだろう。「三十周年記念」と、上部の「戦役」らしきが判別できるので日露戦役と彫られているのかもしれない。
右は参集殿・神社会館なのだろう。 六郷の総鎮守「六郷神社」が兼務されていることを独り反省会で知り、2か月後の同年6月24日に訪問したが、積極的に歩けたあの頃が懐かしい。
藤棚があったが、少し早かったのか、それとも遅かったのか。
手水舎……なかなか立派だが、もちろん使用中止。手水石は皇紀二千六百年記念と言うことは石燈籠と同じ昭和15年奉納なのだろう。ちなみに、手水舎後方のフェンスの向こうはお隣・蓮華寺境内。
参道の奥に鎮座する社殿……微かに左端に写っているのは旧別当寺・蓮華寺本堂の屋根。神仏習合の景色をしっかりと残していた。
「土地九反三畝六歩」と彫られているが、土地を奉納されたようだ。
「1反」は300坪。「1畝(せ)」=30坪。「1歩(ぶ)」=1坪。ということは、2,796坪=9,226㎡。とにかく広い。
由緒書きがなかったので創建年代は不詳だが、隣の旧別当寺・蓮華寺の創建年代とほぼ同時期・寛弘年中(1004~1011年)と考えられるようだ。平安時代後期だわ。
狛犬の奉納年を確認し忘れてしまったが、鉄筋コンクリートの社殿竣工が昭和42年(1967年)らしいので、おそらく同年だろう。
御祭神は「伊邪那岐命(いざなぎのみこと)」のようだ。
社殿後方の本殿部分……こんなところを撮っていた暇な私。拝殿と本殿とを繋ぐ「相の間(幣殿)」がうかがえるので「権現造(ごんげんづくり)」という建築様式だろう。(専門ではないので間違いかもしれない。)
社殿手前右に神輿庫と神楽殿……
重そうな神輿が一基格納されていた。
「格納」と言えば、昨夜偶然NHKの「戦艦大和 パイロットたちの終戦」を観て大和には零式水上偵察機が搭載されていたことを知った。「空母ではないのになんで?」と思ったのだが、世界最大の46センチ砲を運用するには航空機が不可欠だったと。アウトレンジ射撃には大和が飛ばした観測機による弾着修正が必要だったと納得したが、要は地球が丸いからだった。
もちろん滑走路はなくカタパルトから射出されるのだが、艦載機は甲板に置かれているのではなく船内に設けられた「格納庫」に納められていた。クレーンを使っての上げ下げはスピード感に欠けるだろうと思いきや、艦上に出しっ放しだと主砲発射時の爆風で損傷してしまうと。主砲の破壊力は凄まじいものだったのだろうが、その実力を発揮しないまま沈められたらしい。戦争で亡くなった方のご冥福をお祈りする。
社殿右脇に……
鳥居に扁額がないから、どちら様かと思ったら……
右上に小さく「伏見稲荷」と貼られていた。……二礼二拍手一礼
「菅原道真公」の札があった。「天神様」も同居されているのか。
社殿前から真東に伸びる参道を引き返したのは、時すでに14時24分だった。
今日の「My First JUGEM」は……『悪戦苦闘の母守り』
蓮沼