足跡(寺社)313・妙覚寺(2021.4.10)

予想以上に遠かったが、大田区萩中地区まで出かけた2021年4月10日のこと……

正覚寺を後にして、同一ブロックの福称寺北側へ……右に見える屋根を目指した。

もちろん浄土真宗本願寺派「四谷山 妙覚寺」門前……(大田区萩中1-12-29)

開基は親鸞聖人の直弟子唯誓坊宗専の弟宗養で、越後の国柳瀬(現在の新潟県)に草庵を結んだのが始まり。室町時代・文明年間(1469~1486年)に武蔵国(現在の東京都・埼玉県の全域、および神奈川県の一部)に移転するが、次第に荒廃。慶安4年(1651年)に江戸の四ツ谷に再興されたのを期して地名を山号とした。本願寺宗主より現本尊を賜り、浜町御坊、築地と移るが関東大震災によって壊滅。昭和4年(1929年)に現在地に再建された。苦難の道でした。

やっとのことで現地に再興されたが、昭和20年(1945年)の空襲で焼失したのでしょう、現在の本堂は先代のご住職によって再建されたようです。近隣6ヵ寺も戦禍にみまわれたことでしょう。1日も早く世界中の戦争が終わりますように。南無阿弥陀仏

左は庫裏、客殿でしょう。

本堂扁額……江戸時代慶安年間(1648~1652年)に作られた本尊・木造阿弥陀如来立像は、浄土真宗本願寺派第13世宗主・教興院より寄贈されたとのこと。
 ちなみに、教興院の父は、戦国時代、大阪城の場所にあった浄土真宗の一大拠点・石山本願寺織田信長が攻めた石山戦争の末、浄土真宗のトップの座についた第12世宗主「准如」だった。先日勉強をしなおしたから、まだ記憶に新しい。

季節の花々が彩りを添えていた。後方は墓地。

何気なく本堂前……天水桶はかつて使われていたものでしょう。もう一つは戦禍で失われたか。

いずこの寺院も丁寧に手入れをされています。

色鮮やかだったので思わずパチリ……春の色

ツツジも綺麗だった。

ふり返って一礼し、失礼した。

今日の「My First JUGEM」は……『お駄賃』