立行寺と大久保彦左衛門

2019年1月13日に訪問した寺院。今日のJUGEM「持法寺」に関連があったから載せてみよと。楽天ブログに書いたからリンクを貼ってもよかったけど、画像の読み込みに難があるので簡単に焼き直してみることに……そうだ、古い楽天の寺社をこの「はてな」に起こし直してみようかしら?

f:id:kazenosanpo:20210702102031j:plain立行寺山門……港区白金2-2-6

f:id:kazenosanpo:20210702102053j:plain山門扁額……山号は智光山

f:id:kazenosanpo:20210702102125j:plain立行寺本堂……創建は永7年(1630年)麻布六本木で、開基は大久保彦左衛門。寛文8年(1668年)にこちらへ移転されたようです。この立行寺第二世日祐が、同寺を隠居後の明暦元年(1655年)に創建したのが「持法寺」でした。結構離れているように思えますが、いずれも港区内です。

f:id:kazenosanpo:20210702102145j:plain鐘楼……

f:id:kazenosanpo:20210702102206j:plain立派な石碑には『大久保彦左衛門忠教頌徳』と彫られています。大久保彦左衛門が開基したことから通称を「大久保寺」として知られていると。
左脇の小さい石碑には『一心太助』……大久保彦左衛門の草履取(ぞうりとり)で、のちに両国あたりで魚の行商を営み彦左衛門に侠気(きょうき)を愛されたとされる一心太助。だから石碑も並んでいる。
※「侠気(きょうき)」=弱い者が苦しんでいるのを見のがせない気性……講談などで人気者となった太助だが実在したかは不明。

f:id:kazenosanpo:20210702102226j:plain本堂左の墓地の前面に……立派な屋根つきのお堂。真逆光だったので撮るのに一苦労した。それにしても、古いコンパクトデジカメより、今のスマホの方がはるかに画質が良いと再確認。

f:id:kazenosanpo:20210702102247j:plain左右と正面に大小さまざまなお墓がありましたが……

f:id:kazenosanpo:20210702102312j:plain狭くて撮り切れなかったけれど、これまた立派な屋根つきが大久保彦左衛門のお墓でした。
徳川家康・秀忠・家光の3代に仕えた大久保彦左衛門……多くの合戦に従軍して功をたて「戦国生き残りの勇士」と旗本の間で尊敬された。一方、「余命幾ばくもない自分には有り難いが不要」と、徳川家光からの5000石の増加を固辞したらしい人物。今の日本の政治家に爪の垢を煎じて飲んでもらいたい。
通称は「平助」とも呼ばれたらしいから、話しとして相方「太助」が生まれたのかもしれない。ちなみに、墓所はここ「立行寺」以外「長福寺(愛知県岡崎市)」「本禅寺(京都市)」にもあるようです。本禅寺は、法華宗陣門流大本山とのことだけど、連れ合いは知っているかもしれないな~

f:id:kazenosanpo:20210702102348j:plain法華宗陣門流の寺院でした。蛇足ながら、私は大久保彦左衛門の末裔(まつえい)と顔見知り。駅近くですれ違うと挨拶を交わすが、最近はお見かけしない。お元気でいらっしゃるかしら?

と言うことで、今日の「My First JUGEM」は……「持法寺」(リンク)

多くのみなさまには申し訳ありませんが、昨晩2回目のワクチンを接種してきました。お蔭様で、熱も倦怠感もありません。未接種の方々が、一日も早く打てますように願っています。ワクチンが不足しているようですが、3週間経って2回目がありません、なんてことにならぬよう政府には万全を期してほしいものです。