羽田七福いなりめぐり 1~4

別格を含めて8社をめぐる「羽田七福いなり」……4稲荷を訪問したのでハーフまとめ

f:id:kazenosanpo:20210604141638j:plain【一、東官守稲荷神社(とうかんもりいなりじんじゃ)】は「萩中神社」の社殿左の境内に鎮座します。

f:id:kazenosanpo:20210604141717j:plain大田区萩中1-5-18

f:id:kazenosanpo:20210604141754j:plain『東官守稲荷神社は、昔 萩中町7番地(旧番地)辺りにあり、敷地も広く東に向き、海に向かって建てられていた。当時この地に住む村人らは半農半漁の生活をしていたので、海における仕事の安全を祈る守護神として、村人達の信仰を集めていた。 大正6年の風水害により社は被害を受けたが、萩中神社再建の際、萩中神社の境内に移された。しかし、また昭和20年4月、戦災の為焼失してしまったが、町民の努力により再建された。』(『』書きは「穴森稲荷神社HPより」以下同)

f:id:kazenosanpo:20210604141829j:plain【二、妙法稲荷神社(みょうほういなりじんじゃ)】

f:id:kazenosanpo:20210604141859j:plain大田区本羽田1-12-9 

f:id:kazenosanpo:20210604141932j:plain『享和元年9月(1801年)大洪水の被害から立直る為、京都伏見大社の分霊を賜り、大松の下に社殿を建立し、鎮座されたものと伝へられている。この松の根元には白蛇が住み、神の使いと云われた事から、蛇稲荷とも呼ばれ信仰を集めていた。大正12年の関東大震災の折、大松も社殿も焼失したが、当地の有志により松の切株の上に八角堂が建立され、妙法稲荷と呼ばれ信仰を集めていた。昭和20年の戦災によって八角堂は焼失したが、昭和31年崇敬者並びに地元有志により現在の社殿が建立された。』

f:id:kazenosanpo:20210604142011j:plain大田区道主要第102号線」すぐ先の左に重幸稲荷が鎮座しますが、ここより800mほど進むとあるのが高山稲荷でした。

f:id:kazenosanpo:20210604142051j:plain【三、重幸稲荷神社(じゅうこういなりじんじゃ)】大田区本羽田1-7-14

f:id:kazenosanpo:20210604142130j:plain『昔、この辺り一帯は大野上田と呼ばれていた。度々の洪水に悩まされた村人達は、多摩川のほとり旧六郷土堤の際に、田畑の守護と五穀豊穣を祈って社を建立した。社前の道路は旧六郷土堤であり、現在の社の高さが旧堤防の高さであった。境内には樹令400年、幹まわり3.5メートルの楠の大木があったが、昭和20年4月の大空襲で焼失してしまった。社前の道路が一部膨らんでいる事が、大木のあったことと歴史の古さを物語っている。』

f:id:kazenosanpo:20210604142205j:plain【四、高山稲荷神社(たかやまいなりじんじゃ)】……今日のJUGEMで書いた。

さて、残りは「五、鴎稲荷神社」「別格、玉川弁財天」「六、白魚稲荷神社」「七、穴守稲荷神社」……そのうちに頑張ってみよう。いつになるかは分からないけど。

今日の「My First JUGEM」は……「中村天祖神社・高山稲荷神社」(リンク)